飯椀と汁椀展

 

 京都やまほんにて3月2日(金)〜28日(水)まで開催される

「飯椀汁椀展」に少量ではありますが参加させていただきます。

よろしければご高覧ください。

 

詳しくはこちらから

 

 

 

馬越の三姉妹

 

 十戸町という僻地にしては人間の往来かまびすしい小指ほどの町に、馬越という地域があった。伊作という清廉潔白で馬越でも評判な男がいた。伊作は若い頃、父に連れられるままシコメノ田代山と呼ばれる山に登った。そこには何でも知っておられる山の神様がおり、父は伊作を山の神様の生け贄として連れてきたのだった。何でも知っておられる山の神様の生け贄として天に召される予定だった伊作だが、急に気の変わった神様のおかげで数年ほど、神様の下着を洗ったり、縦谷に申し訳程度に開けた畑の菜を世話したり、下働きをさせられることになった。やはり神様は何でも知っているので、下働きの間中、とてもよく働いたまめで誠実な男に施しを与えられた。伊作の父であるイサ−ムが木工機械に身体ごと挟まれて死んでしまったあと、三人の娘が伊作の下に生まれたのだ。三人の娘たちは山の神様のめぐみが与えられたものか、容姿の整った美しい娘たちに成長した。ところが山の神様は中身までは関与しなかったらしく、長女は口を開くと嘘ばかりつくので、本当も嘘もちゃんとご存じである山の神様から罰を受けて、舌を半分切り取られてしまった。美しい長女は、口の中で言葉が鉄の棒で膝を打ちつけられたようにひん曲がったかたちでしかだせなくなり、大変に困った。そこで口中でひん曲がった言葉を一文字ずつ丁寧に伸ばしてから、一音一音取り出して話すのだった。次女は長女に劣らずとても美しい女だったが、人のものを見ると何でも盗んでしまうので、これも罰として山の神様に両手の中指を半分切り取られてしまった。そのため盗みどころか、川の水を両手ですくって口に運ぶまでに、切り取られた中指の隙間から川の水が滝のようにこぼれるし、牛の乳を搾ろうとしても、中指が半分しかないのでいつまでたっても力が入らず、牛酪を作ろうにも乳が十分桶にたまらないのであった。それでも山の神様から賜られた娘たちなので、そこは三番目で間違いはなく、三女は父である伊作の性格をそのまま受け継いで嘘も盗みも行わず、三人のなかでも一番の器量良しと評判で、いつも毎日正直で誠実だった。山の神様は大いに喜び、山には栃の花が御輿のように咲き乱れオリーブの木も豊満な緑実をたわわに実らせた。父である伊作も大層喜んだ。

 大きな玉菜か太陽かそれとも檸檬か、野菜か果実に似た太陽のような、太陽に似た野菜か果実のような、それは大きなものが東の空から立ち上ってきたある日のこと。山の神様は大きな風呂敷を背中に背負って伊作の玄関前に現れた。神様は股を広げてしゃがみ込み、歯の隙間につまった肉片を舌でこそげ取ろうとするように口の中をもごもごさせながら、背中の風呂敷を広げた。中にはがらくたとしか見えないものが数点ちらほら入っていた。神様は伊作に伝えた。「最近、仕事が賃金の安い東南アジアに流れちゃって、景気が悪いからお金が無くて・・、町に降りて質屋に行こうと思う。わたしは神様だから物をもっていない。わたしはいつもお前たちに山の加護を与えているのだから、お前たちの家から質草をだしなさい。わたしの口から不義が漏れいでるだろうか、わたしは嫉妬の神であり慈悲の神である。わたしを恐れなさい。」威厳たっぷりに神様は言葉を発した。伊作は正直な男ではあったが、とことん貧しかったので、三人の娘たちに命じて何とか薄暗い家の中から質草になりそうなものを引っ張り出してこさせた。それは焦げ付いた、今にも底の抜けそうな鉄鍋だったが、神様はそれを満足して風呂敷に包んだ。焦げ付いて底が抜けそうな鉄鍋ではあったが、鉄鍋は伊作の台所で、一番働く箸の次に働く包丁の次に働くものだった。山の神さまは伊作の捧げ物で何とか新年を迎え、伊作と三人の美しい娘たちも神様が炬燵でお酒とお餅を食べているので大変に喜び、山の神様の前で大きな牛を屠って三日三晩の祭りをしたのだった。山の神様は大いに喜びになられた。そこで伊作に新たな施しをお与えになることに決めた。「わたしはこれからシコメノ田代山にスキーに行くが、湖に張った氷が弓形に欠け落ちた次の月夜に、お前の美しい三人の娘たちの中で、夜わたしが枕元に立った娘に我が山シコメノ田代山を与える。」

 湖の氷が弓形に欠け落ちた月の夜。三人の娘たちは、父伊作から聞いた山の神様の話を各々胸にしまいながら眠りについた。美しいが舌が半分切り取られた嘘つきの長女は、どうしても神様の山が欲しかった。虫さえ一匹もいない山の中で半分に切り取られた舌を気にせず、思う存分口からひん曲がった言葉を飛ばして嘘がつきたかったからだ。そこで美しい長女は一計を思いつき、山の神様はお話し好きだったので、嘘だらけの話を眠っている間休みなく話続けながら眠りにつくことにした。そうすれば、お話し好きの神様が長女の枕元に立ち、お話しを聞きたがると思ったのだ。長女より美しいが盗み癖のある指の欠けた次女は、山がやっぱり欲しかった。山があれば、そこを通り過ぎようとする旅人や馬越の人々から気兼ねなく盗みができるからだ。なぜならそこは次女の山だから。次女も一計を案じた。神様はがらくた好きなところを知っていたので、地面から天まで届くほどのがらくたを集め積むために、片手四点五本しか指のない、両手で合計九本の指で、時々指の隙間から盗品を落としては拾いを繰り返しながらも、苦労して近所のがらくたの数々を盗み出し、積み上げたがらくたの影が隣町まで伸びるほどに自分の枕元に慎重に積んで眠りについた。次女よりも美しい三女は誠実だったのでいつも通りそのまま眠りについた。ところで、山の神様は田舎によくいるお考えの古い方だったので、「やっぱり長男長女は大事にしないとね」とお考えになり、長女の枕元に立つことに決め、長女が眠りながらホラ話をしているのを横目で煩わしく思いながらも、枕元に目印となる植物の実を置いて山に戻った。ついでに次女が集めた天まで届きそうながらくたの山も回収するのを忘れなかった。山の神様が目印を長女の枕元に置いて立ち去った後、三女は閉じていた目をあけ、三女より美しくはない嘘つきの長女の枕元から自分の枕元に実を置きなおし再び眠りについた。

 翌朝、三人の目が覚めると、三女の枕元に山の神様の立った目印である植物の実が置いてあるのを見た。山の神様は何でも知っておられたが、もしかすると部屋が暗かったし、もしかしたら長女の枕元だと思っていたのが実は三女の枕元だったんですよ、なんていうのがもしあったら、それはそれで神様として結構恥ずかしかったので、何でも知ってはいたのだが、自分としては間違いなく長女の枕元においたんだけど、とりあえずそのまま事実は隠して、威厳たっぷりに、三女にシコメノ田代山をお与えになった。与えられた後、長女と次女は子を孕み、隣町に引っ越していった。生まれた赤子はやはり玉のような女の赤子で成長すれば母に似た美しい娘たちになるものと思われた。赤子たちには舌が半分無かったし、指も両方合わせて九本しかなかった。どちらがどちらの赤子かは分かりますよね。伊作は山に二本足の羊たちを放して、父と同じく木工機械を手に入れた。

 三女は枕元の植物の実を、与えられたシコメノ田代山に投げ入れた。実はすくすく成長し、十年後には太陽が真上に来ると隣の隣町も日陰になってしまうほどの緑の葉の冠を持つ大きな漆の木になった。山の神様はやっぱり何でも知っておられたので、多分ずるをしたのは三女だと十年間思っていたから、大地を激しく震動させ、大地が小川の水をはじき出し、どうしたのだろうと人々が恐れおののき、塵ほどの善を行った者はそれを見て、塵一粒ほどの悪を行った者もそれを見る日、大地は全てを悟り、命を落としたものがその大地から飛び出した。三女が燃えるような針状の葉を持つ赤杉の根元でうたた寝をしているときに、山の神様は漆の木に触れた者をかぶれさせる乳色をした液体を木の中にそっと流し込んだ。それからというもの、漆の木に触れる者はずるをされた山の神様の怒りで漆かぶれになってしまうのだ。

 遠い遠い遙か昔の物語。 

 

 

 

椀三種

左、雷椀(らいわん)姉妹椀なので風椀も作っている  右、端反椀

サイズは約130×85

 

文椀(ふみわん) このお椀の誕生月にあたる文月から取った名前。大ぶりな椀。

サイズ約145×75

 

展示会報告

12月川口美術で行われた展示会の様子をお伝えいたします。

 

 

器を置く棚は川口美術で扱っている朝鮮の箪笥パンダジをお借りして。

私が作っているのは赤黒の色がない単色の漆器ですから、展示室の内装調度品にかなりの影響を受けます。

幾種類ものパンダジと壁に掛かっている朝鮮絵画の穏やかな色合いと時代を感じさせる佇まいに単調になりがちな展示がとても救われました。

 

高野川方向から展示室に入り込む光線の強弱で、時間ごとに異なる表情が器に現れていた。

 

 

ウルシノキも何本か持参していった。

展示会終了後に木が欲しいという物好きな方々がいて時々そういう人はいるのだけど、

不思議なのは岩手の土地に根っこを伸ばしていたウルシノキが伐採後に

まさか関西の地に居を定めることになろうとは、漆の苗を育てた人も植林した人も掻いた人も想像していない。

用途は人それぞれですからその後の運命は知りませんが、

室内の奇抜なインテリアになるのか何かの材料になるのか

昔は漁のアバギとして活用されていたこともあったけれど時代が変われば価値も変わるわけでとりあえず伐採後のお前がどんなかたちであれ人の役に立てたようで、嬉しいよ。

 

 

 

この写真だと分からないが、

窓外に高野川の流れがあり鴨川と合流した後京都を縦に貫いて南に下る。

その鴨川では恋人たちが川縁でゆっくりしていたり、

ジョギング装備を一式完璧に身に整えた格好の良い女性が駆け抜けていく。

そうかと思うと山高帽にステッキをついた老人が歩き馴れた様子で散歩していたり、

観光客がきゃあきゃあ言いながら友人たちと写真を撮影している。

鴨川は今も昔も多分京都に住まい集う人々の心まで貫いて、

蜂の子のように小刻みに揺れながら下流へと押し流していく。

 

 

 

途中で各地をまわりながら一般道でゆっくり上洛したから、日本はひろいなと改めて思い知らされた。

長距離移動になると高速道路を使う人も多い世の中。

高速道路をつかって移動すると道が整っているし走行スピードもあるから

ノペッとした心持ちが走行中に心にたまってくる。距離が数字の距離としてしか残らない。

景色もほぼ単色でコンクリートの壁とか隧道とか標識や対向車が主な視認物。

最近はサービスエリアも多種多様な趣向で楽しむことができるけどそれはそれ。

移動中はずっと前を向いていないとぶつかるし、眠ったらさらにぶつかるし、

事故渋滞にあたったら目も当てられないことになる。

だから高速を使うと目的地についても途中の土地は思い出にも残らないことがほとんどだ。

これでは日本が持つ本物の距離感もつかめない。

その点一般道は保証します。

飽きさせない。

各地を縦横に伸びるアップダウンの連続道、カーブの急角度、細道の繋がりに、

日本の主役は山であって、私達人間はその中に開いたほんの少々米粒ほどの隙間にぎゅうぎゅうになって詰め込まれている、殺人事件の被害者の後ろにいる野次馬程度の存在なんだということを身体に刻みつけられる。

土地が本来備えている数字以上の本物の距離感を実感できるのが一般道。

 

 

 

中学生時代以来の瀑布、華厳の滝。随分たくさんの水が落ちていたな。

 

以前から見てみたかった万治の石仏。

やっとあえたね(辻風に)

 

白髭神社

 

 

 

誤解を恐れずにいえば、

この旅はすべてここに集約される。

熱海秘宝館。

人間の愚かしさを確認したいときはこちらへどうぞ。

人間のくだらなさを実感したいときもこちらへどうぞ。

人間の偉大さを再認識したい場合も是非こちらへどうぞ。

バッジ付けて偉そうにしている人々も紙と金属を集めるのが得意な方々も一枚脱げばやること同じ。わたしは偉大な展示の数々に途中で涙が出そうになった。

まわりは何故かカップルばかり、そこで涙流した40絡みの髭の坊主が一人でいたら通報されること必定。

鼻をかむふりをしてしっとりと目頭を押さえた。

展示は写真不可だったので気になったら行ってください。快か不快かいずれにせよ何らかの感情をあなたの思いがけない部分からあぶりだしてくれます。

でもきゃあきゃあいいながらカップルが秘宝の厳かな展示の数々を見ていたのだけど

この後は彼らはどうするんでしょうね。

中には唖然として足早に走り去る男女もいて反応としてはこちらの方が健全な若人の感じがして好感が持て、そんな昭和な自分に満足しながら数多ある日本性愛奥義の歴史的展示物を堪能したのだった。

お気に入りは「浦島太郎」「一寸法師」そして尾崎紅葉「金色夜叉」

金色夜叉で有名なカンイチがオミヤを足蹴にしたあの場面が熱海海岸。

その後の二人の行く末は、現代の男女同権意識の高まりの中では時代錯誤も甚だしいという評判もぽろぽろ。

そんな中、ここ熱海秘宝館の金色夜叉展示は「新説金色夜叉考」ともいうべき

激烈な解答を私達の前に開陳してくれます。

それも展示の古めかしさを考えるとつい最近の解釈ではありません。

男女の同権意識も希薄な恐らく一世代は昔の時代に、

実はカンイチにこそ欠陥がありオミヤの選択は「肉体的にこそ」正しいものであったのだ、

その後の結末もオミヤにとっては心も体も救われるはずの結末になるはずだと。

そしてここが大事ですが、真面目腐って説教臭く表現するのではなく「あくまでも秘宝館的解釈で」表現している。

現実はその後オミヤに振られたカンイチは女々しくもその恨みを推進力に大成功し

オミヤは心に深い傷を負って一人病んでいくのですが。

 

 

ながなが秘宝館について語ってしまいました。

ほぼ実質はじめての個展はたくさんの方々に来ていただきました。

心からの感謝を致します。

今年もたくさんの方にお世話になりました。

そして私のいたらない性格のせいで、今年もたくさんの人を傷つけてしまいました。

いつもそうですが私が1メートルだと思っていた距離が、友人知人には1キロにもおよぶ距離を感じさせてしまった。

そういうことがどうしてもうまく合わせることができない。

原因はわかっていますが、解決は難しい。

そんなことを40年も繰り返しているような気がします。

允を成して功を成す。まったく正反対の人生です。

 

皆様にとって来年も良い一年になりますように。

 

 

展示会のお知らせ

京都、岡山で展示会をいたします。

詳細は以下からご覧ください。

 

京都 川口美術 12月6日(水)〜10日(日)

岡山 half lotus 12月9日(土)〜17日(日)

 

 

 

 

川口美術さんでは会期中在廊予定です。

漆掻きの話もしたいと思っておりますのでご予約ください。

 

 

 

 

half lotusさんは受注会になっております。

お渡しは後日になります。

 

 

 

 

 

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「フィールドオブクラフト倉敷」
2018年5月12日(土)–13日(日)
倉敷市芸文館前広場(岡山)
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「飯碗と汁椀展」
2018年3月2日(金)–3月28日(水)
うつわ京都やまほん(京都市)
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「生活工芸展」
2017年3月18日(土)–3月9日(日)
gallery yamahon(三重県)
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