旅の僧

 

 峠道の頂に差し掛かろうとした旅僧は、前方の道端に奇妙な岩を見た。長粒型をした人の背丈の倍はある岩なのだが、奇なるは芯の岩に小岩が己から吸い付いたかのごとく凸凹と表面を覆っていることである。長年の風雨にさらされても、このような形にはなるとは思えない。人為的に加工したものではないことは、鑿の痕や石などで彫ろうとした形跡が無いことで分かった。この峠道は犬無村から十戸町に抜ける間道として近隣では知られており、旅僧は昨晩に犬無村の○○屋という不味い料理と水のような酒を出す店でこの道を教えてもらったのだった。普段から通るものの少ない道とみえて、草が周囲に生い茂る。頂についた旅僧の衣の袖や下衣に点々とヌスビトハギの実が緑の心臓の形を刻んでいる。峠道を上りきった旅僧は一息入れようと奇妙な岩の側に腰を下ろし、腰に差した黒光りする塗りの竹筒から水を飲んだ。その岩を横から見ると、付着し突き出た小岩の数々が昆虫の足を思わせ、全体の形は大百足が天に昇ろうとした寸前に永遠に硬化したように見えた。旅僧は沢で汲んでおいた水を半分ほど飲み終えたのち、疲れに任せつつ物思いに沈んだ。この旅僧、出身は下野国、北方の観音巡りの途中であり一念祈願した旅から早数年が過ぎていた。出立の際の清潔な姿からは想像もできないほど、時間と距離を増すごとに旅僧の衣身体心に、汚泥で何度も捏ねくりまわした垢が塗り重ねられていき、藍に染め抜かれた法衣もいつのまにか赤黒く変色し、頭の菅笠は所々破け雨風をしのぐのにも心許ない。ここ数ヶ月のあいだ、己の身の上のあまりのみすぼらしさとわびしさに、旅の後悔と後悔する己の恥ずかしさに板挟みになっていた。もとはと言えば、この観音巡りを思い立ったのも、下野国で修行中の朋輩たちの中から一歩抜けだし、寺の羨望を一身に受けたいという旅僧の心から出たもので、当初は適当に旅をこなしながら一年ほどで寺に戻ってくるはずであった。一年で戻るには九十八カ所の観音の中から適当な数の堂に選り分けなければならない。ところが朋輩の羨望の眼差しが大きくなるにしたがい、小さな寺だけの話に尾ひれ背びれが付け足され、その寺から隣の寺へ、そのまた隣の寺へ、噂は矢のごとく駆け巡ってしまい、旅僧が気がつけば下野国はもとより関八州にその噂は放たれていたのだ。つまりは全九十八カ所の観音を巡らなければならないはめになってしまったのだ。一時の虚栄心のために。物思いにどれくらいの時間が経ったのか、旅僧ははたと我に返り、犬無村の桂観音から十戸町の馬越観音に向かうところであったのを思い出した。今はその途上、ちょうど真ん中にあたる峠の頂である。旅僧は平手打ちされた羽虫のように一瞬ほうけた表情であったが、伸び放題の顎髭をかゆいともなしに左の指で掻き回しながら、こうしてはおれない先を急ごうと腰をあげた。腰を上げ、峠の道を馬越観音に足を向けた旅僧は、いつの間にか岩の反対側に女が俯いて座っていることに気がついた。どうしたものか、おかしなものだと旅僧は思った。こんなに人気のない峠の間道に、私以外の人があろうものならすぐにでも目につくはずである。だがこの女は旅僧に悟られず、岩の反対側で腰を下ろしていたらしい。そうか、私が頂に着いたときに、すでに女は岩の反対側にいたのだな、女の方でも突然旅僧が現れたので、こんな人気のない場所、姿を現すにも気持ちが入らなかったのだろう。旅僧が物思いに沈んでいる間、この女はだいぶ当惑していたに違いないし、心許ない気持ちでいたであろうと旅僧は女のことを慮った。憐れに思ったかどうか旅僧。女の前に進み出ると、憐れさに道中の寂しさも手伝ってか、ふと俯いたままの女の顔をのぞき込みたい衝動に駆られた。草鞋を直す振りをして腰を屈めると、ちらと女の顔をのぞき込んだはいいが、旅僧はそのまま固まってしまった。なんともこの世のものとは思えないほどの器量を持った女ではないか。黒い雲がもくもくと発達したかの如き豊かな黒髪に、化粧筆で引いたに違いない優雅な線を持つほんのり目尻の上がった細い目、高すぎず低すぎずほどよい丘の形をした鼻梁の通った鼻、その下には一枚の羽毛が落ちたかのような小さな柔らかそうな唇が桜桃色の二つの膨らみを旅僧に向けていた。時間にするとほんの一瞬だったが、旅僧は女の顔に見とれていた。その一瞬の後、旅僧はまた別の視線を女に向けなければならなかった。女が笑っているのである。旅僧は自分に向けられた笑みと思い、先程までの人恋しい気持ちもあってか表情を笑みに変えるために顔面の肉に力を込める寸前であった。だが女が笑っているのは、旅僧の背後に向けてであった。正確に言うと、その目には旅僧の姿は一片も映っていなかった。女の笑い声はどんどん大きくなっていき、はじめ聞こえるか聞こえないか分からないほどのクスクスした笑いだったものが、時が経つごとに激しいものへと変貌していく。旅僧が恐れおののき背後に尻餅をつきながら両手を頼りに後ずさりしていく。ようやく首だけ双六で三進む駒のごとく来た道を振り返ることができたが、そこには大きな百足がいた。先程の大岩のあった場所に、岩であったあの岩が百ある足を器用に交互に動かしながら身体全体を天に昇るように波打たせている。旅僧にむき出しになった大百足の腹には赤と黒の斑模様があり、その一点一点が飛び散った人血が凝固した塊に見える。旅僧は震える両の手で力一杯周囲のウツボ草をむしりこんだ。足に力が入らないために、何とか両手の力で逃げようとするが、草をちぎるだけでいっこうに動くことができない。笑う女は立ち上がりつつ旅僧の背後に指を突きだした。地面が音もなく何層にも割れはじめ、二間ほどの範囲で地表面の膜がむけると、内側の薄い透明状の濡れた白絹に似た膜が捲れだす。その奥の暗闇から何重にも膨れあがった霧のようなものが旅僧を穴の奥深くに引きずり込んだ。引きずり込まれながら旅僧は悲鳴にも似た声にならない声を大きな穴の上にむけて発したが、穴の上からは笑う絶世の女と身をくねらせる大百足がみえるだけであった。

 

 旅僧は顎に当てていた手が抜けた拍子に、大きく身体を揺すぶった。物思いに沈んだまま寝てしまったようだ。日はまだ明るく太陽も天辺から少し下がった位置にある。その位置を見るとそれほど時間は経っていないようだ。体中から汗が何度も何度も汲みだした井戸水のごとく吹き出ているのが分かる。先程まで何ともいえない体験をしたような気がするのだが、どうにも思い出すことができない。一寸の間、自分がここにいる意味が分からなかったが、観音巡りの途中であることをどうにか思い出した。思い出して、後悔の念がまたたくまに青い空を灰色の曇天に変えてしまう。日が暮れる前には峠の坂を下りきらなければなるまい。旅僧は奇異な形の大岩から立ち上がるとその反対側へ足を向ける。大岩のそばには黒光りした塗りの竹筒が地面に捨て置かれていた。旅僧は自分の塗りの竹筒を確認したが、しっかりと腰元に差してある。非常に自分の竹筒と似ているのだが、自分のものは腰にある。旅僧は二度三度交互に竹筒を見比べてみたが、見れば見るほど自分のものがどちらなのかはっきり判別できない気持ちになってきた。悩んでいたが、とうとう旅僧は自分の塗りの竹筒を地面にそっと置いたかと思うと、捨ててあったそっくりの竹筒をゆっくりと腰に差した。どうしてそうしなければならなかったのか。旅僧にも分からなかった。周囲の地面にはウツボ草がみっしりと隙間無く生えている。無理矢理差し込んだ草花ならば、そのまま無理矢理咲かせればいいし、それで枯れてしまえばそれまでのこと。旅僧は奇異な大岩を横目に足早に峠道を降りていく。峠の頂は旅僧が去った後も、いつものように大岩と共にそこにあった。変わったことといえば、旅僧の竹筒が捨て置かれ、旅僧の竹筒が腰に差されたことだけだった。

 

岡山広島漫遊記

 先日、倉敷で開催されたフィールドオブクラフト倉敷2018。

東北からたった一組の参加者として展示をさせていただきました。

格安航空を使えば、時間も旅費も節約できることは分かっていましたが、

せっかくの倉敷です。わたしが住んでいるのは東北の岩手県。

すこし話を横に走らせると、

関東から西にお住まいの方には実際現地に赴かないと少し理解しにくいかもしれませんが、

東北と一口にいっても例えば南の福島県と北の青森県では気候風土文化何もかも違います。

よく間違えられることの一つは、東北はどこでも冬になると秋田県なみに雪が降っているというもの。福島県中通りの生まれであるわたしはスキーができません。スキーができるほど雪が降らないからです。でも福島の山側、会津地方になると事情が異なり、たくさんのスキー場があるので有名な豪雪地帯になります。

岩手県の北部でさえ内陸と沿岸では降雪量が違います。ご想像の通り内陸の方が降雪量は多い。そして内陸でもわたしが住んでいる北上山系と奥羽山脈系でもまた異なり、実は違うのですが大雑把に言わせていただければ、奥羽山脈沿いが北上山系より降雪多な場所です。

「東北弁」と一括りにして語られる言語の面でも、東北の南と北ではまた大いに異なります。わたしは福島の人間ですが、岩手に引越をして気付いたのは地元の方の言葉が分からないこと。特に高齢者のはなす言葉は「?」ばかりだったのを覚えています。少し外に(この意味は県外ではなくその地域からでること)住んだ経験をもつお爺さんお婆さんはその部分気が利いていて、こちらに分かるように話す言葉を努力してくれます。

努力してくれますが、半分は分かればいい方。

これが江戸っ子ではありませんが、生粋の地元人だと7から8割話している言葉が分かりません。温泉に入って隣の湯槽で談笑しているお爺さんたちの会話のなんと摩訶不思議なこと。間違いなく日本語なんだけど、どう聞いても普段私達が話している言語には聞こえないのです。抑揚が独特でよく言われるフランス語のよう、独特の単語も所謂標準語から別系統で成長しているため足の先だけ日本語なだけに余計理解するのに戸惑います。

詳細な言葉はわたしも「外の人間」なため十分に説明できませんけど、二例だけ

「マッカ」「キナゴル」

これだけでその意味を当てられたのでしたら、次はインダス文字にも挑戦して欲しい。

話は大いに逸れてしまいましたが、せっかく岩手から倉敷に名目仕事で行くのです。

それもはじめて訪れる土地、時間は不幸にも山のように持てあましています。

格安航空の狭い鶏舎で育てられている鶏群のように、

1个侶箚屬盖さないサービスゼロのぎゅうぎゅう詰めの機内で、

もしかしたら落ちないよねといらぬ心配をしながら苦しむのは懲り懲りです。

ここはそこまでの旅も楽しまなければいけないと思い、車で行くことにしました。

 

 

明石海峡大橋

前日の雨模様から一転

 

瀬戸内海の碧い海と透き通る空のにおいが

旅情を否応なくかき立てる

見えない指で見えない絵筆を振るい

大きな一幅の絵画を目前に描いた

そしたらこんな風景が生まれるのでしょうか

とにかくまぶしいのであまりにもまぶしいので

誰かを撃ち殺してしまうかもしれません

わたしはここに住むことはできないかもしれません

 

 

不思議な祀堂で中には石や七福神が祀ってある。

古来岩手にも峠や分かれ・坂道には祠や碑のようなものがあり神様を安置している。

この祀堂の近くにも峠へ向かう道が延びていたのでもしかしたら近い意味があるのか

 

瀬戸大橋。これぞThe大橋。

 

フィールドオブクラフト初日会場。

写真ではわかりにくいがこの数倍は来場者がいた

 

2日目はあいにくの降雨。

雨にも関わらず熱心に展示を見てくださる方が多い

成熟していると思うのは褒めすぎだろうか。

来場された方の、

「ここのクラフトフェアは選択のコンセプトが各地のクラフトフェアに比べて高い気がする」という言葉もあったから、あながち的外れな思いではないかもしれない

 

宮島。

修学旅行生と海外旅行者で入島者の半分を占めている。

 

古戦場跡地「厳島の戦い」。

毛利元就の勢力がこの一戦で大いに固まる。

もみじ饅頭をかじりながらカメラを持ってうろうろ、

まとわりつく鹿を逐いながら、もみじは餡が第一と再確認。

 

牛窓のギャラリー。

お昼にいただいたおにぎりと赤味噌の味噌汁の滋味溢れた味に

お腹と心臓を満たされる。

食事の質は金できまるものではない、格式でもない、歴史でもない、まして知識でもない、その場その時の邂逅である。

 

原爆ドーム、

恥ずかしながらこの年齢ではじめて訪れた。

思うところがあっても人は必ず腹が減るもの、夜に食べた広島風お好み焼きの美味かったこと。興奮しすぎて青海苔の入った容器の蓋を回しすぎ、がぽっと大量の青海苔をお好み焼きの上にぶちまけた。相方に愛想尽かされつつ残りの三分の一は青海苔を食べている気分だったけれども、それでも箸で青海苔をはらいながら慎重に腹を満たしていく。

味は変わったけれどもそれはそれ、一つの食の邂逅として特別な思い出だ。

もちろんその後出店の際にお店の人に謝った。店の奥さんは、僕達が一見さんの観光客だと感じていただろうけど、気持ちいいぐらいの笑顔で気にしなくていいよと言葉をかけてくれた。店内では広島カープの試合を睥睨しつつ、店の主が使い込まれた黒金色の熱した鉄板の上でお好み焼きを金ベラで調子よく形と味を整えていく。近所の奥さんだろうか、自前の皿を持って頼んでおいたらしいお好み焼きを受け取りに来ている。「今度は食べに来るからねぇ」と広島弁?僕から言わせると「仁義なき戦い口調」で軽口を叩きながら二階にあるそのお好み焼き店の急な階段を足早に下りていく。

広島出身パフュームのポスターがさりげなくメニュー表の脇、調理場の前の少し油に汚れたカウンター壁に張ってある。

そこかしこに郷土愛に溢れたものが視覚と薫りで店内を満たしている。

フィールドオブクラフトで、偶然わたしのブースに立ち寄ってくれた、広島市内で本屋を営んでいる男性に、市内の美味しいかつ地元の方が足を運店を紹介してもらったのだ。

本屋さんもそうだけど倉敷ではたくさんの出会いに恵まれた。

岩手から縁もゆかりもない土地に行くのだ。当初、寂しい旅になるのはある程度覚悟していた。ところが、会場では作り手の中の古い知り合いに合ったり、

来場者の中にわたしの器を使ってくれている方が何組かいらして、とても驚いたし、

まさかこんな遠い土地で知っている人に会えるとは想像もしていなかったから、素直に嬉しかった。

あるご家族は、数年前東京に住んでいらした頃からの付き合いになるけど、

その後関西に引っ越しをして、今回偶然わたしが倉敷に出品するのを知って

わざわざ使用している器を見てもらいたいからと、ブースまで持参してくれたのだ。

そして大きくなった娘さんのために、そろそろ漆のお椀を使わせてもいいかなと、

娘さんと相談しながら1客買い足していただいた。

言葉では、たった数行の文にしかならないけど、何百ページでも書きたいほど嬉しかった。

数年後またどこかで再会することがあれば、娘さんが使っている椀を見せていただけるだろうか。

そんな機会があればと想像することは、とても楽しい。

 

伊弉諾神社、楠の大木

 

讃岐うどん、たまたま入ったお店が行列ができる店で

普段そういうところは入らないのだけど、せっかく本場まで来たのだからと観光客気分で。

回転が速いからあっという間に食べることが可能。

ゆで卵の天麩羅、ちくわの天麩羅うまし。

もちろんうどんもセルフ式。早い安いうまい。これは文化になるよね一人納得。

 

小豆島のオリーブ園

 

倉敷美観地区。

 

美観地区のこういう横道が表通りの華やかな雰囲気から

一段階、熱気を押さえた感じで素敵である。

なんと重層的な街なんだとあらためて驚嘆しつつ

これは東北に住んでいる人間からみると「規模」が違うと得心。

遠くに来ると、住んでいる土地のことがよりはっきり見えてくるような錯覚を覚える。

錯覚を錯覚と思いしらばっくれることもできるが、錯覚を遠い土地に来たことで研ぎ澄まされた感覚の表れとして見てみようと思う。

そう、良いところも見えれば、悪いところも見える。

否、悪いところが際立って見えるものだ。

わたしが住んでいるこの地域はどうだろうかと。

岩手の人間性を表す言葉として「忍耐強い」とか「寡黙である」などと表現されることがある。特に震災以降はその特徴に気候風土なるものを織り交ぜて、美的な趣を込めて岩手の人物造形に利用される機会が増えたようである。わたしが腑に落ちないのは、住んでいる人間がことさら美徳としてその特質を吹聴または暗示する姿勢である。何年か住んでみてわかったこと、そしてこの旅でよりはっきりしたこと。それは実は「忍耐強い」のでも「寡黙である」のでも無いということだ。むしろ、わたしはこの美徳と言われているものをこう捉えたくてしょうがない。「その場(地域)を動きたくないから我慢する」「自分の意見を言うのは後々面倒になるし誰かやってくれるだろう(と思いこみ黙っている)、もしくは素朴に自分の言葉を持っていない(これは悲劇だ)」この地域に来て心から貧しいなと思うことは、集団(同じ地域に昔から住む者たち、同じ価値観で動く人間のみを「仲間」とし、それ以外の地域から来た人間並びに違う価値観を持つ人間を排除する者たち)にならないと自分の本性を現すことができない人間があまりにも多すぎるということだ。そんな人間たちは、普段は素人芝居よろしく学芸会レベルの装いで隠している牙を、集団になると突然おおっぴらに研ぎ始めるのだ。そんな安っぽいドラマツルギーに地域愛郷土愛なるものをを感じているかぎり、そこからは創造的なものなど一欠片も誕生しないだろう。東北の人間として、ものを作る生業を営む身として、自分の中にもあるこの卑怯なる貧しい性根と業をいかにして克服していくのか。または克服しないままでやり過ごすことができるものなのか。その「美徳」に胡座をかいているかぎり、いつまでたっても東北はそして岩手はそして県北は何も変わらない、それどころか疲弊と閉塞の一途をたどるのみであろう。すでにその兆候はいたるところに現れているのだから。目をそらすのさえ困難だ。

そうだ、ほんの少しいいところもあったからここはフェアに記しておくべきだろう。

こんな落ちた人間たちでも、イギリスに向かう船底の吸血鬼のように日向を避け恐れながら、船旅ができるくらいにはしっかり土の入った寝心地の良い棺桶なみの土地ではあるということだ。

 

フィールドオブクラフト倉敷2018参加致します

 

 

上記日程で倉敷市で開催される「フィールドオブクラフト倉敷2018」に参加致します。

詳しくは

飯椀と汁椀展

 

 京都やまほんにて3月2日(金)〜28日(水)まで開催される

「飯椀汁椀展」に少量ではありますが参加させていただきます。

よろしければご高覧ください。

 

詳しくはこちらから

 

 

 

馬越の三姉妹

 

 十戸町という僻地にしては人間の往来かまびすしい小指ほどの町に、馬越という地域があった。伊作という清廉潔白で馬越でも評判な男がいた。伊作は若い頃、父に連れられるままシコメノ田代山と呼ばれる山に登った。そこには何でも知っておられる山の神様がおり、父は伊作を山の神様の生け贄として連れてきたのだった。何でも知っておられる山の神様の生け贄として天に召される予定だった伊作だが、急に気の変わった神様のおかげで数年ほど、神様の下着を洗ったり、縦谷に申し訳程度に開けた畑の菜を世話したり、下働きをさせられることになった。やはり神様は何でも知っているので、下働きの間中、とてもよく働いたまめで誠実な男に施しを与えられた。伊作の父であるイサ−ムが木工機械に身体ごと挟まれて死んでしまったあと、三人の娘が伊作の下に生まれたのだ。三人の娘たちは山の神様のめぐみが与えられたものか、容姿の整った美しい娘たちに成長した。ところが山の神様は中身までは関与しなかったらしく、長女は口を開くと嘘ばかりつくので、本当も嘘もちゃんとご存じである山の神様から罰を受けて、舌を半分切り取られてしまった。美しい長女は、口の中で言葉が鉄の棒で膝を打ちつけられたようにひん曲がったかたちでしかだせなくなり、大変に困った。そこで口中でひん曲がった言葉を一文字ずつ丁寧に伸ばしてから、一音一音取り出して話すのだった。次女は長女に劣らずとても美しい女だったが、人のものを見ると何でも盗んでしまうので、これも罰として山の神様に両手の中指を半分切り取られてしまった。そのため盗みどころか、川の水を両手ですくって口に運ぶまでに、切り取られた中指の隙間から川の水が滝のようにこぼれるし、牛の乳を搾ろうとしても、中指が半分しかないのでいつまでたっても力が入らず、牛酪を作ろうにも乳が十分桶にたまらないのであった。それでも山の神様から賜られた娘たちなので、そこは三番目で間違いはなく、三女は父である伊作の性格をそのまま受け継いで嘘も盗みも行わず、三人のなかでも一番の器量良しと評判で、いつも毎日正直で誠実だった。山の神様は大いに喜び、山には栃の花が御輿のように咲き乱れオリーブの木も豊満な緑実をたわわに実らせた。父である伊作も大層喜んだ。

 大きな玉菜か太陽かそれとも檸檬か、野菜か果実に似た太陽のような、太陽に似た野菜か果実のような、それは大きなものが東の空から立ち上ってきたある日のこと。山の神様は大きな風呂敷を背中に背負って伊作の玄関前に現れた。神様は股を広げてしゃがみ込み、歯の隙間につまった肉片を舌でこそげ取ろうとするように口の中をもごもごさせながら、背中の風呂敷を広げた。中にはがらくたとしか見えないものが数点ちらほら入っていた。神様は伊作に伝えた。「最近、仕事が賃金の安い東南アジアに流れちゃって、景気が悪いからお金が無くて・・、町に降りて質屋に行こうと思う。わたしは神様だから物をもっていない。わたしはいつもお前たちに山の加護を与えているのだから、お前たちの家から質草をだしなさい。わたしの口から不義が漏れいでるだろうか、わたしは嫉妬の神であり慈悲の神である。わたしを恐れなさい。」威厳たっぷりに神様は言葉を発した。伊作は正直な男ではあったが、とことん貧しかったので、三人の娘たちに命じて何とか薄暗い家の中から質草になりそうなものを引っ張り出してこさせた。それは焦げ付いた、今にも底の抜けそうな鉄鍋だったが、神様はそれを満足して風呂敷に包んだ。焦げ付いて底が抜けそうな鉄鍋ではあったが、鉄鍋は伊作の台所で、一番働く箸の次に働く包丁の次に働くものだった。山の神さまは伊作の捧げ物で何とか新年を迎え、伊作と三人の美しい娘たちも神様が炬燵でお酒とお餅を食べているので大変に喜び、山の神様の前で大きな牛を屠って三日三晩の祭りをしたのだった。山の神様は大いに喜びになられた。そこで伊作に新たな施しをお与えになることに決めた。「わたしはこれからシコメノ田代山にスキーに行くが、湖に張った氷が弓形に欠け落ちた次の月夜に、お前の美しい三人の娘たちの中で、夜わたしが枕元に立った娘に我が山シコメノ田代山を与える。」

 湖の氷が弓形に欠け落ちた月の夜。三人の娘たちは、父伊作から聞いた山の神様の話を各々胸にしまいながら眠りについた。美しいが舌が半分切り取られた嘘つきの長女は、どうしても神様の山が欲しかった。虫さえ一匹もいない山の中で半分に切り取られた舌を気にせず、思う存分口からひん曲がった言葉を飛ばして嘘がつきたかったからだ。そこで美しい長女は一計を思いつき、山の神様はお話し好きだったので、嘘だらけの話を眠っている間休みなく話続けながら眠りにつくことにした。そうすれば、お話し好きの神様が長女の枕元に立ち、お話しを聞きたがると思ったのだ。長女より美しいが盗み癖のある指の欠けた次女は、山がやっぱり欲しかった。山があれば、そこを通り過ぎようとする旅人や馬越の人々から気兼ねなく盗みができるからだ。なぜならそこは次女の山だから。次女も一計を案じた。神様はがらくた好きなところを知っていたので、地面から天まで届くほどのがらくたを集め積むために、片手四点五本しか指のない、両手で合計九本の指で、時々指の隙間から盗品を落としては拾いを繰り返しながらも、苦労して近所のがらくたの数々を盗み出し、積み上げたがらくたの影が隣町まで伸びるほどに自分の枕元に慎重に積んで眠りについた。次女よりも美しい三女は誠実だったのでいつも通りそのまま眠りについた。ところで、山の神様は田舎によくいるお考えの古い方だったので、「やっぱり長男長女は大事にしないとね」とお考えになり、長女の枕元に立つことに決め、長女が眠りながらホラ話をしているのを横目で煩わしく思いながらも、枕元に目印となる植物の実を置いて山に戻った。ついでに次女が集めた天まで届きそうながらくたの山も回収するのを忘れなかった。山の神様が目印を長女の枕元に置いて立ち去った後、三女は閉じていた目をあけ、三女より美しくはない嘘つきの長女の枕元から自分の枕元に実を置きなおし再び眠りについた。

 翌朝、三人の目が覚めると、三女の枕元に山の神様の立った目印である植物の実が置いてあるのを見た。山の神様は何でも知っておられたが、もしかすると部屋が暗かったし、もしかしたら長女の枕元だと思っていたのが実は三女の枕元だったんですよ、なんていうのがもしあったら、それはそれで神様として結構恥ずかしかったので、何でも知ってはいたのだが、自分としては間違いなく長女の枕元においたんだけど、とりあえずそのまま事実は隠して、威厳たっぷりに、三女にシコメノ田代山をお与えになった。与えられた後、長女と次女は子を孕み、隣町に引っ越していった。生まれた赤子はやはり玉のような女の赤子で成長すれば母に似た美しい娘たちになるものと思われた。赤子たちには舌が半分無かったし、指も両方合わせて九本しかなかった。どちらがどちらの赤子かは分かりますよね。伊作は山に二本足の羊たちを放して、父と同じく木工機械を手に入れた。

 三女は枕元の植物の実を、与えられたシコメノ田代山に投げ入れた。実はすくすく成長し、十年後には太陽が真上に来ると隣の隣町も日陰になってしまうほどの緑の葉の冠を持つ大きな漆の木になった。山の神様はやっぱり何でも知っておられたので、多分ずるをしたのは三女だと十年間思っていたから、大地を激しく震動させ、大地が小川の水をはじき出し、どうしたのだろうと人々が恐れおののき、塵ほどの善を行った者はそれを見て、塵一粒ほどの悪を行った者もそれを見る日、大地は全てを悟り、命を落としたものがその大地から飛び出した。三女が燃えるような針状の葉を持つ赤杉の根元でうたた寝をしているときに、山の神様は漆の木に触れた者をかぶれさせる乳色をした液体を木の中にそっと流し込んだ。それからというもの、漆の木に触れる者はずるをされた山の神様の怒りで漆かぶれになってしまうのだ。

 遠い遠い遙か昔の物語。 

 

 

 

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「フィールドオブクラフト倉敷」
2018年5月12日(土)–13日(日)
倉敷市芸文館前広場(岡山)
>>詳しくはこちら
「飯碗と汁椀展」
2018年3月2日(金)–3月28日(水)
うつわ京都やまほん(京都市)
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「生活工芸展」
2017年3月18日(土)–3月9日(日)
gallery yamahon(三重県)
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