馬越の三姉妹

 

 十戸町という僻地にしては人間の往来かまびすしい小指ほどの町に、馬越という地域があった。伊作という清廉潔白で馬越でも評判な男がいた。伊作は若い頃、父に連れられるままシコメノ田代山と呼ばれる山に登った。そこには何でも知っておられる山の神様がおり、父は伊作を山の神様の生け贄として連れてきたのだった。何でも知っておられる山の神様の生け贄として天に召される予定だった伊作だが、急に気の変わった神様のおかげで数年ほど、神様の下着を洗ったり、縦谷に申し訳程度に開けた畑の菜を世話したり、下働きをさせられることになった。やはり神様は何でも知っているので、下働きの間中、とてもよく働いたまめで誠実な男に施しを与えられた。伊作の父であるイサ−ムが木工機械に身体ごと挟まれて死んでしまったあと、三人の娘が伊作の下に生まれたのだ。三人の娘たちは山の神様のめぐみが与えられたものか、容姿の整った美しい娘たちに成長した。ところが山の神様は中身までは関与しなかったらしく、長女は口を開くと嘘ばかりつくので、本当も嘘もちゃんとご存じである山の神様から罰を受けて、舌を半分切り取られてしまった。美しい長女は、口の中で言葉が鉄の棒で膝を打ちつけられたようにひん曲がったかたちでしかだせなくなり、大変に困った。そこで口中でひん曲がった言葉を一文字ずつ丁寧に伸ばしてから、一音一音取り出して話すのだった。次女は長女に劣らずとても美しい女だったが、人のものを見ると何でも盗んでしまうので、これも罰として山の神様に両手の中指を半分切り取られてしまった。そのため盗みどころか、川の水を両手ですくって口に運ぶまでに、切り取られた中指の隙間から川の水が滝のようにこぼれるし、牛の乳を搾ろうとしても、中指が半分しかないのでいつまでたっても力が入らず、牛酪を作ろうにも乳が十分桶にたまらないのであった。それでも山の神様から賜られた娘たちなので、そこは三番目で間違いはなく、三女は父である伊作の性格をそのまま受け継いで嘘も盗みも行わず、三人のなかでも一番の器量良しと評判で、いつも毎日正直で誠実だった。山の神様は大いに喜び、山には栃の花が御輿のように咲き乱れオリーブの木も豊満な緑実をたわわに実らせた。父である伊作も大層喜んだ。

 大きな玉菜か太陽かそれとも檸檬か、野菜か果実に似た太陽のような、太陽に似た野菜か果実のような、それは大きなものが東の空から立ち上ってきたある日のこと。山の神様は大きな風呂敷を背中に背負って伊作の玄関前に現れた。神様は股を広げてしゃがみ込み、歯の隙間につまった肉片を舌でこそげ取ろうとするように口の中をもごもごさせながら、背中の風呂敷を広げた。中にはがらくたとしか見えないものが数点ちらほら入っていた。神様は伊作に伝えた。「最近、仕事が賃金の安い東南アジアに流れちゃって、景気が悪いからお金が無くて・・、町に降りて質屋に行こうと思う。わたしは神様だから物をもっていない。わたしはいつもお前たちに山の加護を与えているのだから、お前たちの家から質草をだしなさい。わたしの口から不義が漏れいでるだろうか、わたしは嫉妬の神であり慈悲の神である。わたしを恐れなさい。」威厳たっぷりに神様は言葉を発した。伊作は正直な男ではあったが、とことん貧しかったので、三人の娘たちに命じて何とか薄暗い家の中から質草になりそうなものを引っ張り出してこさせた。それは焦げ付いた、今にも底の抜けそうな鉄鍋だったが、神様はそれを満足して風呂敷に包んだ。焦げ付いて底が抜けそうな鉄鍋ではあったが、鉄鍋は伊作の台所で、一番働く箸の次に働く包丁の次に働くものだった。山の神さまは伊作の捧げ物で何とか新年を迎え、伊作と三人の美しい娘たちも神様が炬燵でお酒とお餅を食べているので大変に喜び、山の神様の前で大きな牛を屠って三日三晩の祭りをしたのだった。山の神様は大いに喜びになられた。そこで伊作に新たな施しをお与えになることに決めた。「わたしはこれからシコメノ田代山にスキーに行くが、湖に張った氷が弓形に欠け落ちた次の月夜に、お前の美しい三人の娘たちの中で、夜わたしが枕元に立った娘に我が山シコメノ田代山を与えん。」

 湖の氷が弓形に欠け落ちた月の夜。三人の娘たちは、父伊作から聞いた山の神様の話を各々胸にしまいながら眠りについた。美しいが舌が半分切り取られた嘘つきの長女は、どうしても神様の山が欲しかった。虫さえ一匹もいない山の中で半分に切り取られた舌を気にせず、思う存分口からひん曲がった言葉を飛ばして嘘がつきたかったからだ。そこで美しい長女は一計を思いつき、山の神様はお話し好きだったので、嘘だらけの話を眠っている間休みなく話続けながら眠りにつくことにした。そうすれば、お話し好きの神様が長女の枕元に立ち、お話しを聞きたがると思ったのだ。長女より美しいが盗み癖のある指の欠けた次女は、山がやっぱり欲しかった。山があれば、そこを通り過ぎようとする旅人や馬越の人々から気兼ねなく盗みができるからだ。なぜならそこは次女の山だから。次女も一計を案じた。神様はがらくた好きなところを知っていたので、地面から天まで届くほどのがらくたを集め積むために、片手四点五本しか指のない、両手で合計九本の指で、時々指の隙間から盗品を落としては拾いを繰り返しながらも、苦労して近所のがらくたの数々を盗み出し、積み上げたがらくたの影が隣町まで伸びるほどに自分の枕元に慎重に積んで眠りについた。次女よりも美しい三女は誠実だったのでいつも通りそのまま眠りについた。ところで、山の神様は田舎によくいるお考えの古い方だったので、「やっぱり長男長女は大事にしないとね」とお考えになり、長女の枕元に立つことに決め、長女が眠りながらホラ話をしているのを横目で煩わしく思いながらも、枕元に目印となる植物の実を置いて山に戻った。ついでに次女が集めた天まで届きそうながらくたの山も回収するのを忘れなかった。山の神様が目印を長女の枕元に置いて立ち去った後、三女は閉じていた目をあけ、三女より美しくはない嘘つきの長女の枕元から自分の枕元に実を置きなおし再び眠りについた。

 翌朝、三人の目が覚めると、三女の枕元に山の神様の立った目印である植物の実が置いてあるのを見た。山の神様は何でも知っておられたが、もしかすると部屋が暗かったし、もしかしたら長女の枕元だと思っていたのが実は三女の枕元だったんですよ、なんていうのがもしあったら、それはそれで神様として結構恥ずかしかったので、何でも知ってはいたのだが、自分としては間違いなく長女の枕元においたんだけど、とりあえずそのまま事実は隠して、威厳たっぷりに、三女にシコメノ田代山をお与えになった。与えられた後、長女と次女は子を孕み、隣町に引っ越していった。生まれた赤子はやはり玉のような女の赤子で成長すれば母に似た美しい娘たちになるものと思われた。赤子たちには舌が半分無かったし、指も両方合わせて九本しかなかった。どちらがどちらの赤子かは分かりますよね。伊作は山に二本足の羊たちを放して、父と同じく木工機械を手に入れた。

 三女は枕元の植物の実を、与えられたシコメノ田代山に投げ入れた。実はすくすく成長し、十年後には太陽が真上に来ると隣の隣町も日陰になってしまうほどの緑の葉の冠を持つ大きな漆の木になった。山の神様はやっぱり何でも知っておられたので、多分ずるをしたのは三女だと十年間思っていたから、大地を激しく震動させ、大地が小川の水をはじき出し、どうしたのだろうと人々が恐れおののき、塵ほどの善を行った者はそれを見て、塵一粒ほどの悪を行った者もそれを見る日、大地は全てを悟り、命を落としたものがその大地から飛び出した。三女が燃えるような針状の葉を持つ赤杉の根元でうたた寝をしているときに、山の神様は漆の木に触れた者をかぶれさせる乳色をした液体を木の中にそっと流し込んだ。それからというもの、漆の木に触れる者はずるをされた山の神様の怒りで漆かぶれになってしまうのだ。

 遠い遠い遙か昔の物語。 

 

 

 

病院にて

2ヶ月ほど前から通院している。

背中に腫瘍のような腫れ物ができたのに気付いたのは昨年の秋。

毎日風呂場からあがり、身体を拭いている最中に何か固いものがあるなとは思っていたが

ごく小さな腫れ物だったので当時はそれほど気にしていなかった。

それが年明けからぐんぐんと大きくなっていく。

大きくなるだけならまだ耐えられたが、徐々に痛みが伴ってきた。

腫瘍はわたしの背中で、大きくなるごとに、忘れていたことを忘れさせないために

その存在を主張してくる。

耐えきれなくなったわたしは病院にいくことにした。

 

本格的に通院するのは何年ぶりだろう。

その前に病院に入るということが何年ぶりか。

記憶にある限りでは7,8年前、おろし立ての鉈で指を打ってしまい、急患で運び込まれて以来かもしれない。

地元にあるそこそこ大きな総合病院にむかう。その日は朝起きてから一種の病院ハイになっていたのもあり、少し気合いを入れて早めに病院に行くことにした。

車中、唐突に思い出す。遠足の朝、小学生の頃。

こんな期待と不安がない交ぜになった気持ちだったことを思い出す。5年生のとき、2組の馬面で斜視の鈴木君が、遠足当日にお弁当を忘れてしまったことがあった。お昼の時間にクラスで少しずつ、おかずのお裾分けをしたことを思い出す。鈴木君は嬉しそうじゃなかったし、それどころか、その表情はいただいたおかずの分だけ暗くなるばかりだった。鈴木君は苦虫をかみつぶした顔をして貰ったおかずをおかずで食べていく。遠足のために新調したとおぼしき緑色のトレーナーが妙に艶っぽく、

沈んだ表情と皮肉な色調を周囲に浮かばせていた。

数十年後風の噂で聞いたが、鈴木君はその後盗賊になって豪勢に金を儲けたが、ついには足がつき今は塀の中でご飯と一緒におかずを食べている。

 

病院という場所は、わたしの予測を無視した未知なる場所だった。

院内は芋の煮っ転がしを鍋ごと逆さまにひっくり返したごとく混雑していた。

受付の場所すらわからないわたしは、

獲物の目標が定まらないゾンビのようにゆらゆら院内をさまよう。

どうやら院内の他のゾンビの流れを見ていると左手が受付らしい。

なんとか受付を済ませた新入りゾンビは、「皮膚科」へとむかった。

皮膚科にはすでに受付を済ませ腹を空かせた彼らが椅子に座っている。

新入りが入ってきたことで好奇の視線をわたしのはらわたへと向ける。

「違うんです。ボクの病気は背中なのでそこ見ても何もありません。」

突き刺さる視線に申し訳なさを感じながら心の中で謝る。

皮膚科の受付ゾンビに診察カードを渡す。1時間ほどして診察室へと案内された。

期待していた通り、リーダーゾンビ(医者)はわたしの腫れ物を的確に診察して、執拗にわたしの肉付きを確認する。

背中のこぶは、手術しないと根治しないものだった。

後日、わたしは手術を受けることになった。

手術といっても簡単なもので、

殻の付いた松の実状の肉片を小指の先程背中から切除するだけ。

30分程度で済んでしまった。

切除された肉片を看護婦さんがおもむろに目の前に差し出す。その肉片はとてもうまそうだった。切除された肉の断面の赤身と脂肪が、ほどよく炊けた豚の角煮を連想させた。

わたしは差し出された肉片をそっと口元に。

 

診察を終えた皮膚科の待合室では、車いすに乗った青年が、

付き添いの女性の尻肉を、まるでそこに柔らかい大きな瘤があるように右手で執拗に押し続けている。

女性は見えない空気が膨らんで彼女の尻をつつく心持ちで、気にもとめていない。

院内の中央通路を挟んだはす向かいの精神科、

こちらをじっと見つめる中年男性の姿がある。

わたしが振り向くと首を元に戻して視線をそらす。わたしが正面を向くと男性はまたこちらを凝視する。

こんなやりとりが数回続いた。

男性は笑い出した。

わたしもつられてにっこりと笑い返した。

それだけだった。破顔していた男性の表情が一瞬で素に戻ると、さっきまでの世界は男性の中に存在しなくなった。

その時その前の無の状態に戻ってしまって、わたしのことなど忘れて、男性は永遠に正面を向き続けた。

 

あと何年も病院にはかかりたくないなと思う。

しかし、40年無摂生に酷使した体は今後いうことをきかなくなるばかりだろう。

「時間」は、若さという春も老いという冬も、みな等しく分解して砕いてくれる。

時間はやさしい物差しか。

人はその物差しにあてられ、1舒磴い猟甲擦貌々馬鹿騒ぎをするだけなのだった。

 

 

街の中の玉こんにゃく

玉こんにゃくは食のダイヤモンドである           *写真はイメージです。

           

 

年越しは妻の実家がある山形県で過ごした。

高校を出て以来20年、年越しを実家で過ごしたことがなかった身にしては、

妻の実家ではあるが久しぶりの所謂「年末年始」を経験することになったわけだ。

突然だが、結婚をするとか、恋人と同棲するとかパートナーと一緒に生活するということは、自己の世界の中の飛行場に、異なった生活基盤を通過してきた「異邦人」をいかにうまく着陸させていくか、お互いのパイロット実技試験だと思う。

うまく着陸できることもあれば些細なことで空中爆破することもあるだろうし、

片足着陸でなんとか飛行場に着きはしたがあえなく大破することもあるだろう。

試験飛行も成しに無事に着陸できるかは運が大きく左右することだし、

訓練を繰り返したからと言って安心して着陸できるほど安易でもないし保証もない。

着陸の成功は時代の空気にも影響されるが、実際時代感に影響されない物事など

この世には一つも無いのだということが目の前に迫ってくる。

その時代感は誰が作っているのか、やはり人間なのである。それもほんの一握りの稀に出現する選ばれた人間達。

ではわたしたち大多数の人間は何者を演じなければならないのだろうか。

考え出すと少々怖い。

 

玉こんにゃくで有名な山形県、勿論妻の大好物の一つ。

玉こんにゃくに恨みはないが、興味も好きでもなかったわたしは、妻の玉こんにゃく好きをしっかりと受け入れ管制塔で誘導しながら今のところ無事着陸に成功しているように

見える。

その玉こんにゃくだが、山形県民で食したことがないという人間がいるだろうか。

日本全国に「食」を売りにした場所はあると思うが、

密かに山形県こそ、そのなかでも抜きんでた食の王都の地方都市代表だと思っている。

玉こんにゃくもそんな王の都がお薦めする珠玉の食べ物の一つ。

県民の方々はそれぞれに玉こんにゃく哲学を持っていて、

各々好みの性癖というか食癖がある。

その食癖にかなわない玉こんにゃくは、味哲学という名の銃に装填された弾丸で撃ち抜かれ断罪される罰が待つ。

ざっと挙げても、味が中まで染みていない、こんにゃくが小さい、辛子の付け方が悪い、出汁が悪い、熱々じゃないなどなど。

年末や新年ともなればいたるところで玉こんにゃくたちが山形県民の生活に侵入してくる。

山寺の参道は言わずもがな、道の駅の売店、産直の店先で、大型ショッピングモールの店内で、温泉のカウンター横にも存在感を発揮する。

あの独特の醤油とするめの合わさっただし汁の匂いが、お参りや運転または買い物するもの、湯を浴びるもの達の上にも燦々と降り注いでくるのが年末年始の山形なのだ。

その匂いでこの時期の山形県を透明なドーム状の中に地域ごとまったく包み込み、県外の地域から隔絶するのだった。

妻の実家の正月は漆重箱のおせち。

中にはやはり王の中の王或いは姫君「玉こんにゃく」が、その銀色に輝く丸い御体躯を、重箱の中で優雅に遊ばされていらっしゃる。

玉こんにゃくを箸で摘もうとするが、姫は不遜の輩を気に入らないご様子で、

つるつるころころ、水光りする身体を自由奔放に動かす。

腰を左右に激しく揺らし、その腰が抱かれようとする一瞬にするっと両の箸から絨毯で敷き詰められた漆重箱の玉座へと舞い戻る。

的を絞らせない。

わたしは意を決しゆっくりと箸先を玉こんにゃくの頭上に落とし込む。

観念した玉こんにゃくの中心に箸が突き刺ささり、軟らかいゼリーの上にビー玉を落としたような形に歪んだ先から透明な出し汁があふれ出す。

それでも気を抜くと、玉こんにゃくは腕に渾身の力を振り絞って箸先から逃れようともがきだす。慎重に恐る恐る箸を口に持っていきつつ同時に上顎と下顎を大きく開いて口内に玉こんにゃくをいれると口を閉じた。

玉こんにゃくの弾力を口中に感じながら二度三度咀嚼し王都は陥落した。

 

「少量食べるぶんには玉こんにゃくも美味しいよね。あはは。」

 

タマコン哲学が完成した瞬間だった。

 

Viva玉こんにゃく。

 

 

 

*皆様、新年明けましておめでとうございます。

今年も拙ブログをよろしくお願い致します。

一体どのような方々がこのブログを読んでくださっているのか、果たして読んでくださる方がいるのかすら覚束ないわけですが、

下賤の身であるわたしには頭を上げるすべもありませんのでよく分かりません。

漆のことを全然アップしない駄目なブログではありますが、

更新も滞りがちな駄目なブログではありますが、

摘める砂粒くらいの数であろう慈悲深い読者の皆様が、こんな馬鹿で阿呆な奴が世の中にいるんだと励ましの一助にもなれば、

または時には暗澹たる気分になる方もいらっしゃれば、これほどの喜びはありません。

インスタグラム共々(こちらは妻がアップしているのでご不快な気分にはならないと思います。)

引き続き本年もよろしくお願い致します。

皆様の2017年が素晴らしい1年になりますように。

                                   猪狩

 

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2017年3月18日(土)–3月9日(日)
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