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「日経おとなのOFF」掲載

 

「日経おとなのOFF」8月号に漆掻き猪狩の仕事が掲載されました。

お近くの書店にお立ち寄りのさいはご一読ください。

 

約1ヶ月ぶりのアップ。

猪狩は死んでいるのか生きているのか。

左のサイドメニューに「Instagram」がありますので

そちらをクリックしてまたいでいただくと近況が分かりやすくなっております。

 

漆掻き。

山に入っているあいだは人間と接触がほぼほぼありません。

世界が視覚及びそれに付随する感覚でしか成り立っていないとしたら

人間社会に姿の見えない状態のわたしはある意味「死んでいる」とも言えます。

しかしウルシノキとそのまわりにいる動植物からみると

わたしは毎日ウルシノキの間を指で弾いたピンポン球みたいに上下左右に飛び跳ねている

そこに存在している生きものの1つになります。

その意味ではわたしはこの世界に「生きている」。

生きていると死んでいることの境界線はどこにあるのか。

「生死」は絶対的な基準があるように思われがちですが、

実はとても曖昧なものではないでしょうか。

例えば約70億の人々をすべて視覚だけでとらえることは不可能ですが、

仮に人口1万人弱の村で生活の全てが完結している人間がいるとしたら外の世界はあってないようなもの。

視覚が世界認識の基準とすればその人にとって見える範囲「村」以外は闇の世界であり

無いに等しい場所です。村以外で暮らす人も営まれる社会も存在しません。

それは意味として死とほとんど変わらないことではないか。

でもご存じのように世界は1万人の村と比べたら無限といっていい規模で広がっています。

日本という国単位でみても海の外には様々な国々があることになっています。

でも「海を越えれば外国がある」ということにまったく関心がない人間がいるとすれば、

その国々はある意味「死んでいる」状態です。

この人物にもし社会生活上の視覚的関係性が崩壊するような状況がおこったとしたら

案外もろく人間の「生死の境」は崩れはじめるものではないでしょうか。

いままで生きていたものごとが崩壊し、

いままで存在しなかった死んでいたものたちが立ち現れる。

休日に一人部屋で過ごすことは誰にでもありますが、

そんなことで生死の問題に結びつける人間はいないでしょう。

ただし、もしそれが永遠に続く環境に自分がはいってしまったとしたら。

関係性のあるなしで生と死を語るのは安易なことだと分かっていますが、

事実、山の中に一人でいるとどうしても世界が信じられなくなってしまう瞬間や時間がわたしにはあります。

遠くから聞こえる生活音ではっと我に返りますが、

返った世界ははたしてどちらの世界だったでしょうか。

いまのところ帰った場所は所謂こちら側ですが、

ついひねり方を間違えるとそちら側にいくことだってありそうです。

どっちがどっちかも分かりませんが、

多分どちらかにみなさまも住んでいらっしゃるのでしょう。

わたしは生きているのか死んでいるのか。

時々困惑することがあります。

 

 

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2017年3月18日(土)–3月9日(日)
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2016年11月18日(金)–11月23日(水)
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