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岡山広島漫遊記

 先日、倉敷で開催されたフィールドオブクラフト倉敷2018。

東北からたった一組の参加者として展示をさせていただきました。

格安航空を使えば、時間も旅費も節約できることは分かっていましたが、

せっかくの倉敷です。わたしが住んでいるのは東北の岩手県。

すこし話を横に走らせると、

関東から西にお住まいの方には実際現地に赴かないと少し理解しにくいかもしれませんが、

東北と一口にいっても例えば南の福島県と北の青森県では気候風土文化何もかも違います。

よく間違えられることの一つは、東北はどこでも冬になると秋田県なみに雪が降っているというもの。福島県中通りの生まれであるわたしはスキーができません。スキーができるほど雪が降らないからです。でも福島の山側、会津地方になると事情が異なり、たくさんのスキー場があるので有名な豪雪地帯になります。

岩手県の北部でさえ内陸と沿岸では降雪量が違います。ご想像の通り内陸の方が降雪量は多い。そして内陸でもわたしが住んでいる北上山系と奥羽山脈系でもまた異なり、実は違うのですが大雑把に言わせていただければ、奥羽山脈沿いが北上山系より降雪多な場所です。

「東北弁」と一括りにして語られる言語の面でも、東北の南と北ではまた大いに異なります。わたしは福島の人間ですが、岩手に引越をして気付いたのは地元の方の言葉が分からないこと。特に高齢者のはなす言葉は「?」ばかりだったのを覚えています。少し外に(この意味は県外ではなくその地域からでること)住んだ経験をもつお爺さんお婆さんはその部分気が利いていて、こちらに分かるように話す言葉を努力してくれます。

努力してくれますが、半分は分かればいい方。

これが江戸っ子ではありませんが、生粋の地元人だと7から8割話している言葉が分かりません。温泉に入って隣の湯槽で談笑しているお爺さんたちの会話のなんと摩訶不思議なこと。間違いなく日本語なんだけど、どう聞いても普段私達が話している言語には聞こえないのです。抑揚が独特でよく言われるフランス語のよう、独特の単語も所謂標準語から別系統で成長しているため足の先だけ日本語なだけに余計理解するのに戸惑います。

詳細な言葉はわたしも「外の人間」なため十分に説明できませんけど、二例だけ

「マッカ」「キナゴル」

これだけでその意味を当てられたのでしたら、次はインダス文字にも挑戦して欲しい。

話は大いに逸れてしまいましたが、せっかく岩手から倉敷に名目仕事で行くのです。

それもはじめて訪れる土地、時間は不幸にも山のように持てあましています。

格安航空の狭い鶏舎で育てられている鶏群のように、

1个侶箚屬盖さないサービスゼロのぎゅうぎゅう詰めの機内で、

もしかしたら落ちないよねといらぬ心配をしながら苦しむのは懲り懲りです。

ここはそこまでの旅も楽しまなければいけないと思い、車で行くことにしました。

 

 

明石海峡大橋

前日の雨模様から一転

 

瀬戸内海の碧い海と透き通る空のにおいが

旅情を否応なくかき立てる

見えない指で見えない絵筆を振るい

大きな一幅の絵画を目前に描いた

そしたらこんな風景が生まれるのでしょうか

とにかくまぶしいのであまりにもまぶしいので

誰かを撃ち殺してしまうかもしれません

わたしはここに住むことはできないかもしれません

 

 

不思議な祀堂で中には石や七福神が祀ってある。

古来岩手にも峠や分かれ・坂道には祠や碑のようなものがあり神様を安置している。

この祀堂の近くにも峠へ向かう道が延びていたのでもしかしたら近い意味があるのか

 

瀬戸大橋。これぞThe大橋。

 

フィールドオブクラフト初日会場。

写真ではわかりにくいがこの数倍は来場者がいた

 

2日目はあいにくの降雨。

雨にも関わらず熱心に展示を見てくださる方が多い

成熟していると思うのは褒めすぎだろうか。

来場された方の、

「ここのクラフトフェアは選択のコンセプトが各地のクラフトフェアに比べて高い気がする」という言葉もあったから、あながち的外れな思いではないかもしれない

 

宮島。

修学旅行生と海外旅行者で入島者の半分を占めている。

 

古戦場跡地「厳島の戦い」。

毛利元就の勢力がこの一戦で大いに固まる。

もみじ饅頭をかじりながらカメラを持ってうろうろ、

まとわりつく鹿を逐いながら、もみじは餡が第一と再確認。

 

牛窓のギャラリー。

お昼にいただいたおにぎりと赤味噌の味噌汁の滋味溢れた味に

お腹と心臓を満たされる。

食事の質は金できまるものではない、格式でもない、歴史でもない、まして知識でもない、その場その時の邂逅である。

 

原爆ドーム、

恥ずかしながらこの年齢ではじめて訪れた。

思うところがあっても人は必ず腹が減るもの、夜に食べた広島風お好み焼きの美味かったこと。興奮しすぎて青海苔の入った容器の蓋を回しすぎ、がぽっと大量の青海苔をお好み焼きの上にぶちまけた。相方に愛想尽かされつつ残りの三分の一は青海苔を食べている気分だったけれども、それでも箸で青海苔をはらいながら慎重に腹を満たしていく。

味は変わったけれどもそれはそれ、一つの食の邂逅として特別な思い出だ。

もちろんその後出店の際にお店の人に謝った。店の奥さんは、僕達が一見さんの観光客だと感じていただろうけど、気持ちいいぐらいの笑顔で気にしなくていいよと言葉をかけてくれた。店内では広島カープの試合を睥睨しつつ、店の主が使い込まれた黒金色の熱した鉄板の上でお好み焼きを金ベラで調子よく形と味を整えていく。近所の奥さんだろうか、自前の皿を持って頼んでおいたらしいお好み焼きを受け取りに来ている。「今度は食べに来るからねぇ」と広島弁?僕から言わせると「仁義なき戦い口調」で軽口を叩きながら二階にあるそのお好み焼き店の急な階段を足早に下りていく。

広島出身パフュームのポスターがさりげなくメニュー表の脇、調理場の前の少し油に汚れたカウンター壁に張ってある。

そこかしこに郷土愛に溢れたものが視覚と薫りで店内を満たしている。

フィールドオブクラフトで、偶然わたしのブースに立ち寄ってくれた、広島市内で本屋を営んでいる男性に、市内の美味しいかつ地元の方が足を運店を紹介してもらったのだ。

本屋さんもそうだけど倉敷ではたくさんの出会いに恵まれた。

岩手から縁もゆかりもない土地に行くのだ。当初、寂しい旅になるのはある程度覚悟していた。ところが、会場では作り手の中の古い知り合いに合ったり、

来場者の中にわたしの器を使ってくれている方が何組かいらして、とても驚いたし、

まさかこんな遠い土地で知っている人に会えるとは想像もしていなかったから、素直に嬉しかった。

あるご家族は、数年前東京に住んでいらした頃からの付き合いになるけど、

その後関西に引っ越しをして、今回偶然わたしが倉敷に出品するのを知って

わざわざ使用している器を見てもらいたいからと、ブースまで持参してくれたのだ。

そして大きくなった娘さんのために、そろそろ漆のお椀を使わせてもいいかなと、

娘さんと相談しながら1客買い足していただいた。

言葉では、たった数行の文にしかならないけど、何百ページでも書きたいほど嬉しかった。

数年後またどこかで再会することがあれば、娘さんが使っている椀を見せていただけるだろうか。

そんな機会があればと想像することは、とても楽しい。

 

伊弉諾神社、楠の大木

 

讃岐うどん、たまたま入ったお店が行列ができる店で

普段そういうところは入らないのだけど、せっかく本場まで来たのだからと観光客気分で。

回転が速いからあっという間に食べることが可能。

ゆで卵の天麩羅、ちくわの天麩羅うまし。

もちろんうどんもセルフ式。早い安いうまい。これは文化になるよね一人納得。

 

小豆島のオリーブ園

 

倉敷美観地区。

 

美観地区のこういう横道が表通りの華やかな雰囲気から

一段階、熱気を押さえた感じで素敵である。

なんと重層的な街なんだとあらためて驚嘆しつつ

これは東北に住んでいる人間からみると「規模」が違うと得心。

遠くに来ると、住んでいる土地のことがよりはっきり見えてくるような錯覚を覚える。

錯覚を錯覚と思いしらばっくれることもできるが、錯覚を遠い土地に来たことで研ぎ澄まされた感覚の表れとして見てみようと思う。

そう、良いところも見えれば、悪いところも見える。

否、悪いところが際立って見えるものだ。

わたしが住んでいるこの地域はどうだろうかと。

岩手の人間性を表す言葉として「忍耐強い」とか「寡黙である」などと表現されることがある。特に震災以降はその特徴に気候風土なるものを織り交ぜて、美的な趣を込めて岩手の人物造形に利用される機会が増えたようである。わたしが腑に落ちないのは、住んでいる人間がことさら美徳としてその特質を吹聴または暗示する姿勢である。何年か住んでみてわかったこと、そしてこの旅でよりはっきりしたこと。それは実は「忍耐強い」のでも「寡黙である」のでも無いということだ。むしろ、わたしはこの美徳と言われているものをこう捉えたくてしょうがない。「その場(地域)を動きたくないから我慢する」「自分の意見を言うのは後々面倒になるし誰かやってくれるだろう(と思いこみ黙っている)、もしくは素朴に自分の言葉を持っていない(これは悲劇だ)」この地域に来て心から貧しいなと思うことは、集団(同じ地域に昔から住む者たち、同じ価値観で動く人間のみを「仲間」とし、それ以外の地域から来た人間並びに違う価値観を持つ人間を排除する者たち)にならないと自分の本性を現すことができない人間があまりにも多すぎるということだ。そんな人間たちは、普段は素人芝居よろしく学芸会レベルの装いで隠している牙を、集団になると突然おおっぴらに研ぎ始めるのだ。そんな安っぽいドラマツルギーに地域愛郷土愛なるものをを感じているかぎり、そこからは創造的なものなど一欠片も誕生しないだろう。東北の人間として、ものを作る生業を営む身として、自分の中にもあるこの卑怯なる貧しい性根と業をいかにして克服していくのか。または克服しないままでやり過ごすことができるものなのか。その「美徳」に胡座をかいているかぎり、いつまでたっても東北はそして岩手はそして県北は何も変わらない、それどころか疲弊と閉塞の一途をたどるのみであろう。すでにその兆候はいたるところに現れているのだから。目をそらすのさえ困難だ。

そうだ、ほんの少しいいところもあったからここはフェアに記しておくべきだろう。

こんな落ちた人間たちでも、イギリスに向かう船底の吸血鬼のように日向を避け恐れながら、船旅ができるくらいにはしっかり土の入った寝心地の良い棺桶なみの土地ではあるということだ。

 

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「フィールドオブクラフト倉敷」
2018年5月12日(土)–13日(日)
倉敷市芸文館前広場(岡山)
>>終了しました
「飯碗と汁椀展」
2018年3月2日(金)–3月28日(水)
うつわ京都やまほん(京都市)
「生活工芸展」
2017年3月18日(土)–3月9日(日)
gallery yamahon(三重県)
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