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クラフトフェアまつもと
5月28日(土)と29日(日)に松本市のあがたの森公園にて「クラフトフェアまつもと2016」に参加いたします。
今回で3度目の参加で、はじめての屋外での出展。
公式サイトの特集コーナーではインタビューの記事を掲載いただきました。 →
会場にお越しの際はぜひお立ち寄りください。


山々に若葉の冠が目立ちはじめる
 
雨が少ない地域なので降雨は恵みとなり、滴る観音山


畑を耕し田に水を張る


蜜の香りと乳色の季節がやってきた




道路脇の松の新芽 ミズキの緑もまだまだこれから

  
漆の苗木このうち何本か東京へ送る、うまく成長してくれるといいが 苗の根っこがドッシリとしている  


穴を掘り苗を植える

 
1万年以上にわたって繰り返されてきたことを想像する くらくらする瞬間がある

暦では夏になり、岩手県北の山々もやっと緑の衣を羽織りだす。
先日、偶然漆の苗が手に入ったのでささやかな植栽を庭のまわりに行う。
10本にも満たない本数ではあるが、岩手に移住をして8年目に入り、
自分の手で自分が住んでいる土地に植栽をしたいという心が、すこしだけ晴れた日だった。
もちろんこのまま順調に生育するかは今後の手入れにかかってくるが、
わからないのだが、良い苗が手に入ったのでうまくいけばいいと思う。

漆掻きは掻く漆の木をすべて自分でまかなっている、
とおもわれるかもしれないがそうではない。
調達しているほとんどの漆の木の植林は、地域の有志の方々の手に委ねられている。
幸い二戸地域にはまだたくさんの漆の木が奇跡的なことに残っている。
それだけ地域の有志がいたということだ。
私たち漆掻きはその「奇跡」に馬乗りになって仕事をしている。
「二戸地域」というと若干分かりにくいだろうが、
漆の木は「浄法寺」にあるのではないか?と思われるだろう。
「浄法寺漆」や「浄法寺漆器」の名称があるくらいだから、
「漆の木も浄法寺」と他県の方が勘違いされる気持ちはよく分かる。
漆の木は浄法寺(合併前の旧浄法寺町内を指す)の小さな地域にのみ植林されているのではない。
もっと広範囲の市町村に漆の木は存在していたし、今も存在している。
岩手県というくくりを飛び越えて青森県内にも漆の木があるのだから、
ましてや「浄法寺」というくくりで、
「この地域の漆の木がある場所」と認識されることが、
漆の本来の姿を見誤ってしまう原因になっている。
繰り返し強調するが、漆の木は二戸地域全域にかろうじて奇跡的に残っている。
私たち漆掻き職人は地域の漆の木を掻いて生活している。そこに市町村の区別はない。
漆の木があれば、私たち漆掻きはどこにでも移動する。
歴史を振り返れば、漆掻きは浄法寺内のみの特権的職業だったわけではもちろん無かった。
岩手県内の各市町村にはその地域の漆掻きがいたし、つい最近までその伝統は各地域で続いていたのだ。
私が住んでいる一戸町にも砂子田さんという伝説的な漆掻きがいて、
今なおその方の仕事を聞く機会があるほど、
生々しい記憶が地域の底に刻みつけられている。
それは一昔前には県内や二戸地域内ならどこにでもあった普通の話。
漆掻きにとって不幸なことは、時代は漆掻きを必要としなくなった。
星の数ほどいた地域の漆の猛者たち、
その仕事の軌跡はほとんど忘れ去られ、
漆掻きが(つまり技術)が最後まで残った、
今の「浄法寺」という名に収斂されることになった。
忘れられつつあるが、時代を遡れば、
漆掻きが小さな枠にとらわれず、
地域の漆の木を相手に活動していた時代があった。
そして地域の有志が漆掻きのために漆の苗をどんどん植林していた時代があった。
植える人に掻く人、両者の関係がまったく健康的な「地域の時代」が昔あった。
 
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「うつわベーシック 碗と椀」
2019年3月13日(水)–5月13日(月)
国立新美術館B1階 SFT GALLERY(東京)
>>詳しくはこちら
「フィールドオブクラフト倉敷」
2018年5月12日(土)–13日(日)
倉敷市芸文館前広場(岡山)
>>終了しました
「飯碗と汁椀展」
2018年3月2日(金)–3月28日(水)
うつわ京都やまほん(京都市)
>>終了しました
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