京都及び諸国漫遊記

12月川口美術で行われた展示会の様子をお伝えいたします。

 

 

器を置く棚は川口美術で扱っている朝鮮の箪笥パンダジをお借りして。

私が作っているのは赤黒の色がない単色の漆器ですから、展示室の内装調度品にかなりの影響を受けます。

幾種類ものパンダジと壁に掛かっている朝鮮絵画の穏やかな色合いと時代を感じさせる佇まいに単調になりがちな展示がとても救われました。

 

高野川方向から展示室に入り込む光線の強弱で、時間ごとに異なる表情が器に現れていた。

 

 

ウルシノキも何本か持参していった。

展示会終了後に木が欲しいという物好きな方々がいて時々そういう人はいるのだけど、

不思議なのは岩手の土地に根っこを伸ばしていたウルシノキが伐採後に

まさか関西の地に居を定めることになろうとは、漆の苗を育てた人も植林した人も掻いた人も想像していない。

用途は人それぞれですからその後の運命は知りませんが、

室内の奇抜なインテリアになるのか何かの材料になるのか

昔は漁のアバギとして活用されていたこともあったけれど時代が変われば価値も変わるわけでとりあえず伐採後のお前がどんなかたちであれ人の役に立てたようで、嬉しいよ。

 

 

 

この写真だと分からないが、

窓外に高野川の流れがあり鴨川と合流した後京都を縦に貫いて南に下る。

その鴨川では恋人たちが川縁でゆっくりしていたり、

ジョギング装備を一式完璧に身に整えた格好の良い女性が駆け抜けていく。

そうかと思うと山高帽にステッキをついた老人が歩き馴れた様子で散歩していたり、

観光客がきゃあきゃあ言いながら友人たちと写真を撮影している。

鴨川は今も昔も多分京都に住まい集う人々の心まで貫いて、

蜂の子のように小刻みに揺れながら下流へと押し流していく。

 

 

 

途中で各地をまわりながら一般道でゆっくり上洛したから、日本はひろいなと改めて思い知らされた。

長距離移動になると高速道路を使う人も多い世の中。

高速道路をつかって移動すると道が整っているし走行スピードもあるから

ノペッとした心持ちが走行中に心にたまってくる。距離が数字の距離としてしか残らない。

景色もほぼ単色でコンクリートの壁とか隧道とか標識や対向車が主な視認物。

最近はサービスエリアも多種多様な趣向で楽しむことができるけどそれはそれ。

移動中はずっと前を向いていないとぶつかるし、眠ったらさらにぶつかるし、

事故渋滞にあたったら目も当てられないことになる。

だから高速を使うと目的地についても途中の土地は思い出にも残らないことがほとんどだ。

これでは日本が持つ本物の距離感もつかめない。

その点一般道は保証します。

飽きさせない。

各地を縦横に伸びるアップダウンの連続道、カーブの急角度、細道の繋がりに、

日本の主役は山であって、私達人間はその中に開いたほんの少々米粒ほどの隙間にぎゅうぎゅうになって詰め込まれている、殺人事件の被害者の後ろにいる野次馬程度の存在なんだということを身体に刻みつけられる。

土地が本来備えている数字以上の本物の距離感を実感できるのが一般道。

 

 

 

中学生時代以来の瀑布、華厳の滝。随分たくさんの水が落ちていたな。

 

以前から見てみたかった万治の石仏。

やっとあえたね(辻風に)

 

白髭神社

 

 

 

誤解を恐れずにいえば、

この旅はすべてここに集約される。

熱海秘宝館。

人間の愚かしさを確認したいときはこちらへどうぞ。

人間のくだらなさを実感したいときもこちらへどうぞ。

人間の偉大さを再認識したい場合も是非こちらへどうぞ。

バッジ付けて偉そうにしている人々も紙と金属を集めるのが得意な方々も一枚脱げばやること同じ。わたしは偉大な展示の数々に途中で涙が出そうになった。

まわりは何故かカップルばかり、そこで涙流した40絡みの髭の坊主が一人でいたら通報されること必定。

鼻をかむふりをしてしっとりと目頭を押さえた。

展示は写真不可だったので気になったら行ってください。快か不快かいずれにせよ何らかの感情をあなたの思いがけない部分からあぶりだしてくれます。

でもきゃあきゃあいいながらカップルが秘宝の厳かな展示の数々を見ていたのだけど

この後は彼らはどうするんでしょうね。

中には唖然として足早に走り去る男女もいて反応としてはこちらの方が健全な若人の感じがして好感が持て、そんな昭和な自分に満足しながら数多ある日本性愛奥義の歴史的展示物を堪能したのだった。

お気に入りは「浦島太郎」「一寸法師」そして尾崎紅葉「金色夜叉」

金色夜叉で有名なカンイチがオミヤを足蹴にしたあの場面が熱海海岸。

その後の二人の行く末は、現代の男女同権意識の高まりの中では時代錯誤も甚だしいという評判もぽろぽろ。

そんな中、ここ熱海秘宝館の金色夜叉展示は「新説金色夜叉考」ともいうべき

激烈な解答を私達の前に開陳してくれます。

それも展示の古めかしさを考えるとつい最近の解釈ではありません。

男女の同権意識も希薄な恐らく一世代は昔の時代に、

実はカンイチにこそ欠陥がありオミヤの選択は「肉体的にこそ」正しいものであったのだ、

その後の結末もオミヤにとっては心も体も救われるはずの結末になるはずだと。

そしてここが大事ですが、真面目腐って説教臭く表現するのではなく「あくまでも秘宝館的解釈で」表現している。

現実はその後オミヤに振られたカンイチは女々しくもその恨みを推進力に大成功し

オミヤは心に深い傷を負って一人病んでいくのですが。

 

 

ながなが秘宝館について語ってしまいました。

ほぼ実質はじめての個展はたくさんの方々に来ていただきました。

心からの感謝を致します。

今年もたくさんの方にお世話になりました。

そして私のいたらない性格のせいで、今年もたくさんの人を傷つけてしまいました。

いつもそうですが私が1メートルだと思っていた距離が、友人知人には1キロにもおよぶ距離を感じさせてしまった。

そういうことがどうしてもうまく合わせることができない。

原因はわかっていますが、解決は難しい。

そんなことを40年も繰り返しているような気がします。

允を成して功を成す。まったく正反対の人生です。

 

皆様にとって来年も良い一年になりますように。

 

 

展示会のお知らせ

京都、岡山で展示会をいたします。

詳細は以下からご覧ください。

 

京都 川口美術 12月6日(水)〜10日(日)

岡山 half lotus 12月9日(土)〜17日(日)

 

 

 

 

川口美術さんでは会期中在廊予定です。

漆掻きの話もしたいと思っておりますのでご予約ください。

 

 

 

 

half lotusさんは受注会になっております。

お渡しは後日になります。

 

 

 

 

 

イベントのお知らせ

来週末のイベントのお知らせです。

一戸町の商店街のお米屋さん「駒木米穀店」さんとのはじめての企画です。

お近くの方はぜひお越しください。

 

 

「漆の器と土鍋で炊くシンプルご飯体験会」

10/14(土)16時〜17時半

場所:駒木米穀店(岩手県二戸郡一戸町向町16)

参加費:1000円(税別・選べる店頭米1kg付き)

定員:8名

【内容】

・漆掻きの仕事について

・漆の器について

(駒木さんやご来場の方との対話形式でお話しさせていただきます。)

・HARIOの土鍋のお米の炊き方

・漆の器で食べるご飯(ぬか漬けと山形の芋煮付き)

 

野外での開催となります。暖かい服装でお越しください。

お申し込みは駒木米穀店さんにお電話にてお願いいたします。

ぜひお待ちしております。

(駒木米穀店:0195−32ー2751)

「nice things」9月号掲載

 

「nice things」9月号に漆掻き猪狩の仕事をご紹介いただきました。

いつも感じるのですが、私のような微賤の輩にあうために

わざわざ遠いところまで安くはない御足を払ってお越しくださる方々。

その方々の気持ちに少しでも貢献や恩返しができているのでしょうか。

「乞食の中にこそ立派な人がいるものだ」と西行さんは仰りましたが、

その言葉に漆の木のまわりを乞食否虫けら同然に漂う漆掻きも、

立派になりたいなど思いもしませんがわずかばかり救われる気持ちが致します。

 

 

「日経おとなのOFF」掲載

 

「日経おとなのOFF」8月号に漆掻き猪狩の仕事が掲載されました。

お近くの書店にお立ち寄りのさいはご一読ください。

 

約1ヶ月ぶりのアップ。

猪狩は死んでいるのか生きているのか。

左のサイドメニューに「Instagram」がありますので

そちらをクリックしてまたいでいただくと近況が分かりやすくなっております。

 

漆掻き。

山に入っているあいだは人間と接触がほぼほぼありません。

世界が視覚及びそれに付随する感覚でしか成り立っていないとしたら

人間社会に姿の見えない状態のわたしはある意味「死んでいる」とも言えます。

しかしウルシノキとそのまわりにいる動植物からみると

わたしは毎日ウルシノキの間を指で弾いたピンポン球みたいに上下左右に飛び跳ねている

そこに存在している生きものの1つになります。

その意味ではわたしはこの世界に「生きている」。

生きていると死んでいることの境界線はどこにあるのか。

「生死」は絶対的な基準があるように思われがちですが、

実はとても曖昧なものではないでしょうか。

例えば約70億の人々をすべて視覚だけでとらえることは不可能ですが、

仮に人口1万人弱の村で生活の全てが完結している人間がいるとしたら外の世界はあってないようなもの。

視覚が世界認識の基準とすればその人にとって見える範囲「村」以外は闇の世界であり

無いに等しい場所です。村以外で暮らす人も営まれる社会も存在しません。

それは意味として死とほとんど変わらないことではないか。

でもご存じのように世界は1万人の村と比べたら無限といっていい規模で広がっています。

日本という国単位でみても海の外には様々な国々があることになっています。

でも「海を越えれば外国がある」ということにまったく関心がない人間がいるとすれば、

その国々はある意味「死んでいる」状態です。

この人物にもし社会生活上の視覚的関係性が崩壊するような状況がおこったとしたら

案外もろく人間の「生死の境」は崩れはじめるものではないでしょうか。

いままで生きていたものごとが崩壊し、

いままで存在しなかった死んでいたものたちが立ち現れる。

休日に一人部屋で過ごすことは誰にでもありますが、

そんなことで生死の問題に結びつける人間はいないでしょう。

ただし、もしそれが永遠に続く環境に自分がはいってしまったとしたら。

関係性のあるなしで生と死を語るのは安易なことだと分かっていますが、

事実、山の中に一人でいるとどうしても世界が信じられなくなってしまう瞬間や時間がわたしにはあります。

遠くから聞こえる生活音ではっと我に返りますが、

返った世界ははたしてどちらの世界だったでしょうか。

いまのところ帰った場所は所謂こちら側ですが、

ついひねり方を間違えるとそちら側にいくことだってありそうです。

どっちがどっちかも分かりませんが、

多分どちらかにみなさまも住んでいらっしゃるのでしょう。

わたしは生きているのか死んでいるのか。

時々困惑することがあります。

 

 

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2017年3月18日(土)–3月9日(日)
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