ウルシノキの物語

 

 十戸町に遅い春がやってきた。

 十戸町馬越、峰から躊躇なく鉈をまっすぐに下ろし、半分に割った形の山に挟まれて、窮屈そうに馬越という集落がある。半分に裂けたザクロの実にたかった小さな虫にも似たこの集落のちょうど中心に、国道が東から西へに向かって延々と続き、国道に沿って在来線と新幹線の線路がこれもやはり西に向かって針金のように延びている。集落の中心から国道と線路によって分断された南北の住人たちは文明の要である2つの交通網のおかげで大きな利益を得ていた。まだ道も線路もなかった昔年の思い出を事あるごとに語り合い、記憶という名の呪縛に捕らわれていた南北の古老達も、時が経つにしたがいその恩恵に酔いしれ何百年も前からそこに道と線路があり人々の生活を支えてきたかのように語り合うのであった。

 集落の南の山には、馬越不動尊が祀られる馬越山が岩をむき出しにして聳えている。肥沃な土壌がある集落の南側では、たくさんの作物が育っていた。稲麦菜果その土地と繋がれば稲田には満々と水がきらめき、麦は永遠の富を約束するかのように黄金に輝き、果樹はこぼれ落ちんばかりに実り、畑には緑の新芽が途切れることなく肥沃な土壌から頭を持ち上げる。冬には宝石を積み上げたような純白の雪に染まる馬越山の麓に「千本漆」という名所がその昔あった。集落を走る街道の両脇に沿ってウルシノキが一里あまりも続いている。しかしその姿がいまではほとんど消えかけている。街道沿いにウルシノキは数本まばらに見える程度で、往事はその威容を一目見ようと諸国から集ってきたという旅人達も、蝋燭の火が燃え尽きる寸前に何者かに吹き消されてしまったように姿を消してしまった。

 この千本漆を街道沿いに植えたのは、オイワケという名の老人と老人が飼っていた犬のキナゴルだった。南の古老が語るにはオイワケ老人とキナゴルは飼い主と犬の関係をこえた絆で強く結ばれていたという。伴侶をはやくに亡くしたオイワケ老人はキナゴルをかわいがった。キナゴルはオイワケ老人に顔がそっくりだったし、オイワケ老人もキナゴルに顔がそっくりだった。体の所作というか、腕や足の動かし方、呼ばれたさいの首の曲げ方、ご飯の食べ方など、単に似ているという言葉では説明がつかない不思議な共通点が両者にはあった。散歩をしているところなど、老人が犬を散歩させているのか、犬が老人を散歩させているのかわからないほどだった。

 そんな一人と一匹は街道沿いにウルシノキを植林するときも常に一緒だった。オイワケ老人が心を込めて育てたウルシの苗を街道に沿って一本植えるごとに、キナゴルは苗の根本におしっこをかけていった。キナゴルがおしっこをかけるとその苗は驚くほどに生長した。古老が語るには、植えたそばから根がしっかりと大地に腰を下ろし、引き抜こうとしても根っこが鋤の刃を土に深く食い込ませたように容易には抜けないほどだったという。数年はかかるはずの成長が一月もすればウルシノキの背丈は大人ほどに伸び、幹の太さは成人の腕に負けないくらいもくもくと太った。そして一日、一月、一年とオイワケ老人とキナゴルは夜が白み始めてから日が山のむこうに沈み込むまで、毎日苗を植えてはおしっこをかけ続けた。気がつくと街道はウルシノキで一杯になった。街道の両脇に白と黒の牌を一個一個延々と直線に並べていったように、ウルシノキは規則正しい間隔をおいて街道を東から西へと進んでいった。

 このウルシノキの街道を快く思っていない人物がいた。名をゴンペイという。ゴンペイはウルシノキがとても嫌いだった。小さい頃にウルシノキの下を歩いて全身ウルシにかぶれてしまい、体中から水泡が飛び出し三日三晩ウンウン唸りながら寝込んだ。マンダノキを煮詰めた汁を何度も体に塗ってどうにかかぶれは回復したが、水泡の後が顔にあばたとなって残った。そのせいでゴンペイは自分がとても醜く鏡も見れない顔のために、伴侶がとれないと思ってしまった。実はそこまで顔のあばたが問題だったのではなく、ゴンペイの性格が気難しかっただけなのだが、そんなことは思いもつかないゴンペイは愚直なまでに自分をこんな顔にしたウルシノキを恨み続けた。恨み続けてずっと独り者だった。ゴンペイは自分の顔をあばた面にしたウルシノキを絶対に許さないぞと心に誓ったのだった。誓った目の前でウルシノキを次々植えていくオイワケ老人とキナゴル。ゴンペイにとって生傷に錐をもみ込まれるのと同じくらい耐え難いことだった。そこでゴンペイは一計を案じた。

 ある日ゴンペイはキナゴルに声をかけ、わしの庭に今にも枯れそうなウルシノキがあるからお願いだわしの木にもお前のおしっこをかけておくれと頼んだ。実は他所から枯れたウルシノキを引き抜き庭に埋め込んだだけだったのだが、従順なキナゴルはゴンペイの願いを断るわけもなく、素直に庭のウルシノキに丁寧におしっこをかけた。瞬く間にウルシノキは蘇った。枯れた樹皮のかさぶたのような肌はみずみずしく灰色に艶めき、枝先についた今にも落ちそうな茶色く萎れた枯れ葉が新緑に輝きだし葉身をゆっくり天へと伸ばしながら背伸びをするのがわかった。キナゴルは自分の仕事を満足そうに眺めていた。ウルシノキの根元から梢までをじっくり眺めた。早春の黄金色の草花の上で、暖かい日光に体中の体毛が柔らかい空気を一杯に含んで、毛の一本一本が踊りながら喜んでいるように感じた。キナゴルが眺めているその背後から、ゴンペイはゆっくり近づき手にした鉈でキナゴルの頭を馬越山のようにまっぷたつに叩き割った。そして体をウルシノキの真下に埋めてしまった。一人きりになったオイワケ老人は幾日も幾日もキナゴルを探したが、とうとうキナゴルがどこにもいないことがわかると、地面に突っ伏してオーオー泣いた。泣いているオイワケ老人の下衣の中から、もやしに似た根っこが伸びて肥沃な黒い土の中へと勢いよく吸い込まれていく。オイワケ老人の体はいつしか深い灰色の樹皮に覆われたたくましい一本のウルシノキになった。ただ、たくましいウルシノキの葉は悲しみととまどいの血を吐き出し燃えるように真っ赤に染まったという。

 忌々しい一人の老人と一匹の犬がいなくなったあとのゴンペイは、とても安楽だった。憎たらしいウルシノキをこれ以上増やす奴らはいないのだ。そう考えただけでも独り者だったが毎日が幸せだった。そして幸せな日々が、満ち足りた日々が続けば、いつものごとく次の幸せを求めて人は欲深くなるものである。ゴンペイもまったく例外ではなかった。老人と犬が育ててきたあの立派な千本漆の街道が、どうしても我慢できなくなってきたのだ。日に日に憎しみがつのるそのさまは、数え切れないほどの衆生の悪鬼煩悩を打擲してきた馬越山の不動様も尻込みするほどの憎しみの炎だった。ゴンペイは街道のウルシノキを残らず切り倒すことにした。そうすることが、自分の幸せをこれからもずっと永遠に持続させるための絶対条件であるかのように。まだ日が昇りきらないうちから大きな斧をかついでゴンペイは街道沿いのウルシノキを倒しだした。ところがウルシノキはびくともしなかった。何度斧を力一杯木に打ちつけても、木肌が傷つくそばから犬の毛のような体毛が傷口からのびだして打ちつけた場所を塞いでしまう。結局ゴンペイは一日かかって一匹のアリンコぐらいの仕事もできなかった。さんざん汗を流したが思い通りにいかなかったことに腹が立ったゴンペイは、沈みゆく夕日を背にしてウルシノキに放尿した。勢いよくでたものが、ウルシノキにあたり厚い鉄板に生卵をおもいきり叩きつけたように辺りに飛散した。そのうちの一滴がゴンペイの手の甲についた。ゴンペイは自分でしたものが自分に跳ね返ってきたものだから、両の目が左右にちぎれそうになるくらい怒ったが、怒ってもどうしようもなかった。その一滴がみるみるうちにゴンペイの手の甲で大きくなりだした。よく見るとそれは水泡だった。ゴンペイは思い出した。この水泡は漆かぶれの水泡だった。一晩もしないうちに手から全身へと水泡は広がっていった。広がったあとには体中の水泡がパチンパチンと音を立てて次々破れた。破れあふれでた膿はゴンペイが臥していた布団の周囲を徐々に浸していく。とうとう破れた水泡の膿の中でゴンペイはおぼれ死んでしまった。だがゴンペイの恨みは天よりも高くその志はある意味尊いものだったかもしれない。裏山に入る前にゴンペイは千本漆の街道に願をかけた。

 その後、日を追うごとに街道のウルシノキは弱りだし、一年も経たないうちに千本漆の街道は立ち尽くした屍達の列が一糸乱れぬ姿で街道にお辞儀をしたごとく、一斉に萎れて立ち枯れてしまった。オイワケ老人とキナゴルが育てた千本漆の面影は跡形もなく消えた。ゴンペイの願いは成就したともいえるし、成就し過ぎたともいえるかもしれない。この伝説とも昔話ともホラ話ともはっきりしない話を、古老から語り聞いたのだ。国道と線路が併走するそばで、通行するものもまばらになったその旧街道沿いには、今でも幾本かのウルシノキがあるのは事実である。もしかしたらその中の一本が、今でもキナゴルを探し出せずに悲嘆にくれたオイワケ老人の変わり果てた姿ではないと、誰が言い切れるものだろうか。秋、山中でもっとも早くウルシノキは紅葉をむかえるが、血を吐き出し燃えるように真っ赤な葉に包まれたオイワケ老人がいまもどこかでキナゴルを探し求めているのかもしれない。

 

 

 

病院にて

2ヶ月ほど前から通院している。

背中に腫瘍のような腫れ物ができたのに気付いたのは昨年の秋。

毎日風呂場からあがり、身体を拭いている最中に何か固いものがあるなとは思っていたが

ごく小さな腫れ物だったので当時はそれほど気にしていなかった。

それが年明けからぐんぐんと大きくなっていく。

大きくなるだけならまだ耐えられたが、徐々に痛みが伴ってきた。

腫瘍はわたしの背中で、大きくなるごとに、忘れていたことを忘れさせないために

その存在を主張してくる。

耐えきれなくなったわたしは病院にいくことにした。

 

本格的に通院するのは何年ぶりだろう。

その前に病院に入るということが何年ぶりか。

記憶にある限りでは7,8年前、おろし立ての鉈で指を打ってしまい、急患で運び込まれて以来かもしれない。

地元にあるそこそこ大きな総合病院にむかう。その日は朝起きてから一種の病院ハイになっていたのもあり、少し気合いを入れて早めに病院に行くことにした。

車中、唐突に思い出す。遠足の朝、小学生の頃。

こんな期待と不安がない交ぜになった気持ちだったことを思い出す。5年生のとき、2組の馬面で斜視の鈴木君が、遠足当日にお弁当を忘れてしまったことがあった。お昼の時間にクラスで少しずつ、おかずのお裾分けをしたことを思い出す。鈴木君は嬉しそうじゃなかったし、それどころか、その表情はいただいたおかずの分だけ暗くなるばかりだった。鈴木君は苦虫をかみつぶした顔をして貰ったおかずをおかずで食べていく。遠足のために新調したとおぼしき緑色のトレーナーが妙に艶っぽく、

沈んだ表情と皮肉な色調を周囲に浮かばせていた。

数十年後風の噂で聞いたが、鈴木君はその後盗賊になって豪勢に金を儲けたが、ついには足がつき今は塀の中でご飯と一緒におかずを食べている。

 

病院という場所は、わたしの予測を無視した未知なる場所だった。

院内は芋の煮っ転がしを鍋ごと逆さまにひっくり返したごとく混雑していた。

受付の場所すらわからないわたしは、

獲物の目標が定まらないゾンビのようにゆらゆら院内をさまよう。

どうやら院内の他のゾンビの流れを見ていると左手が受付らしい。

なんとか受付を済ませた新入りゾンビは、「皮膚科」へとむかった。

皮膚科にはすでに受付を済ませ腹を空かせた彼らが椅子に座っている。

新入りが入ってきたことで好奇の視線をわたしのはらわたへと向ける。

「違うんです。ボクの病気は背中なのでそこ見ても何もありません。」

突き刺さる視線に申し訳なさを感じながら心の中で謝る。

皮膚科の受付ゾンビに診察カードを渡す。1時間ほどして診察室へと案内された。

期待していた通り、リーダーゾンビ(医者)はわたしの腫れ物を的確に診察して、執拗にわたしの肉付きを確認する。

背中のこぶは、手術しないと根治しないものだった。

後日、わたしは手術を受けることになった。

手術といっても簡単なもので、

殻の付いた松の実状の肉片を小指の先程背中から切除するだけ。

30分程度で済んでしまった。

切除された肉片を看護婦さんがおもむろに目の前に差し出す。その肉片はとてもうまそうだった。切除された肉の断面の赤身と脂肪が、ほどよく炊けた豚の角煮を連想させた。

わたしは差し出された肉片をそっと口元に。

 

診察を終えた皮膚科の待合室では、車いすに乗った青年が、

付き添いの女性の尻肉を、まるでそこに柔らかい大きな瘤があるように右手で執拗に押し続けている。

女性は見えない空気が膨らんで彼女の尻をつつく心持ちで、気にもとめていない。

院内の中央通路を挟んだはす向かいの精神科、

こちらをじっと見つめる中年男性の姿がある。

わたしが振り向くと首を元に戻して視線をそらす。わたしが正面を向くと男性はまたこちらを凝視する。

こんなやりとりが数回続いた。

男性は笑い出した。

わたしもつられてにっこりと笑い返した。

それだけだった。破顔していた男性の表情が一瞬で素に戻ると、さっきまでの世界は男性の中に存在しなくなった。

その時その前の無の状態に戻ってしまって、わたしのことなど忘れて、男性は永遠に正面を向き続けた。

 

あと何年も病院にはかかりたくないなと思う。

しかし、40年無摂生に酷使した体は今後いうことをきかなくなるばかりだろう。

「時間」は、若さという春も老いという冬も、みな等しく分解して砕いてくれる。

時間はやさしい物差しか。

人はその物差しにあてられ、1舒磴い猟甲擦貌々馬鹿騒ぎをするだけなのだった。

 

 

gallery yamahon 「生活工芸展」ご案内

 

3月18日(土)から4月9日(日)まで、

三重県伊賀市のgallery yamahonにて開催される

「生活工芸展」に参加させていただき、

工芸の諸先輩方の集う展示の末席を汚しております。

私の作品よろしければご笑覧ください。

 

詳しくはこちら→

 

 

rakra 3,4月号

rakra3・4月号「北東北の暮らしの出会う旅」にて

漆掻き猪狩をご紹介いただきました。

是非ご覧ください。

また盛岡駅前のカネイリスタンダートストアで

「北東北の暮らしに出会う旅」展も開催中。

私の器も見本展示されております。

8日までですのでお近くにご用時の際は足をのばしてみてください。

 

創刊10周年を迎えたrakraこれからも北東北の情報を

私達に届けてください。

 

 

「酒と肴と器」展

毎年参加させていただいております八幡平市の造り酒屋鷲の尾で行われる

「酒と肴と器」展に今年も出品致します。

地元岩手では盛岡の「背負子」さんの他、わたしの器を見ていただく機会が無いなかで

地味に貴重な展示です。ツチノコ探しにぜひお越しください。

詳しくはこちら

 

 

岩手県北の厳しい寒さは身体も冷やすが、

ちょっとでも気を許すと知らないうちに心までも冷やしてしまう。

少しでもより暖かい暖をとるために、人間は労を惜しまない。

今は大分少なくなったが薪ストーブをしんみり焚く家は近所にもまだ数件残っていて、

青い空にぬっとのびた、くすんだステン煙突から灰色や透明の煙を毎朝吐き出している。

薪を割るのも力仕事。今は薪割り用の機械があるので大分楽になってきているけど、

もちろんそんな便利なものが無いわが家はいまだに斧でがつがつ薪割り。

ここで働く暖をとるための薪ストーブ達は、命の元であり心の暖かさの元でもある。

言ってしまうが、あったかい都会でお洒落で入れてます型高級なやわな薪ストーブ君達(本当は凄い性能なんだけど)とは土台からして存在の意味合いが違うのだよワトソン君!

こちらは労働者階級の薪ストーブであり、「イワン・デニソビッチの一日」的赤煉瓦積みの囚人用暖炉なのです。

だからとことん生きるために、敷地のまわりにある枯れ枝という枯れ枝は、焚きつけに使うからおおぶりなものからこぶりなものまで出来るだけ取る。生の枝も寝かせれば十分役に立つから生きるために今から蓄えておく。薪だって伐倒したウルシの木を、漆山からの道が麓まで通っている場所であれば軽トラに積んで運び出し薪に使う。そんな生き方が「格好いい」からじゃない、「山が好き」だからじゃない、生きるためだ。

 

 岩手県北に数年住んで分かったことはこの地域の寒さは「貧しさ」からくる寒さだということ。新建材の暖かい家が普及してから表面上は一見暖かさを手に入れたかに見えるが、まだまだ心の冷えは隠しようもないしこれからも続くだろう。地域に漂う全体的閉塞感をこの寒さが感覚として直接私達に訴えかけてくる。それを言葉で表現すると「貧しい」がぴったりとあう気がするのだ。でも身体にしろ心にしろ「貧しさ」がその字義通りに貧しいものでしかないという考え方には反対だ。貧しさからしか見えてこない世界がきっとある。つらく厳しい寒さからしか生まれてこないものがあるのだ。具体的に何が生まれてくるのだろう?この土地からしか生まれないものは何か?その答えはまったく分からない。それはそこで暮らし生きる一人一人の人間が答えを見つけるべきものだろう。そして出した答えを笑う権利は誰にもない。生まれて一度も貧しさを経験したことのないものが、貧しさを鼻をかむごとく容易く笑うことが出来るだろうか。前述のソルジェニツィン「イワンデニソビッチの一日」は過酷な環境のラーゲル(旧ソビエト時代の強制収容所)内で暮らす囚人達の一日を詳細に描いていく小説。マローズ(厳寒)の中で共同生活をしている囚人達が考えることは、霜柱の立つほど寒いラーゲル内でどうやって朝無事に起きるか、カーシャ(屑野菜のスープ肴の骨が入っていればしめたもの)をいかにして喰うか、どうすれば医務室で一日作業免除をいただけるかなど、つまりどうやって一日生きのびることができるか、それが彼らの喫緊の問題。冬が来ると、わたしはこの作品を読むことにしているのだが、読み進めていくと囚人達の「貧しさ」のなかに瞬間「豊かさ」が見えてくる。絶対ラーゲルなどに入りたくはないし、そんなカーシャなんて喰いたくないのだけど、そこで繰り広げられるあまりにも滑稽な人間達の動きに、寒さの階級は違うにせよ同じ「貧しい寒さ」の中で一日を暮らすものとして、ある種の共感さえ生まれてくる。幸いにして私達の世代は物を喰うという行為で食いっぱぐれた経験は一度として無い、寒さに死ぬほど凍えたことも。生まれてから今まで毎日3食しっかり喰わせてもらっているのだから真実の意味で「腹が減った」を知らない世代だ。とても幸せ者だ。だから巷にある、「少しだけ断食」なんてみっともない真似をして心身ともにきれいになりたくないし、喰えるんだから毎日たくさん喰いたいし呑みたい。喰えなくなっらそのときは真実「腹が減るだろう」貧しい思いもするだろう凍えるだろう。わたしはそこそこ食いしん坊だし、大の寒がり。三度の飯の時間が少しでも過ぎ腹が減れば不機嫌になるし、ひゃっと冷たい風が刺せば本当に嫌だ。だから毎日美味しい飯が喰いたい美味い酒が飲みたい、あったかい部屋で過ごしたい。誰でも望むことを同じく望んでいる。だからって「貧しさ」を不当に評価しないのは、心から不当だと思う。「貧しい」を生で感じられる貴重な場所で、ここでしか生まれないものがあるはず。結果は無数にあるがそれは畢竟「貧しさ」の中からしか生まれてこないものだ。豊かさの中から答えを見つけただしたものと、貧しさの中から答えを見つけたもの、同じであるはずがない。同じである必要もない。「貧しさ」を見つめてこそ、この場所で生きる意味があるし、ものを作る意味があると思う。「貧しいや寒いを知らねえで落語を語れるかい」と立川談志も仰っていたのではなかったか。

 

今夜も冷え込むようだ、この寒さだと朝には洗面所が凍って使い物にならない。洗濯機の給排水管も凍るだろう。朝起きるのも億劫だ。うっかりするとつま先の感覚が無くなってくる。上等だ。その生活から何が生まれるか探ってみよう。

 

 

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「生活工芸展」
2017年3月18日(土)–3月9日(日)
gallery yamahon(三重県)
>>詳しくはこちら
「毎日ハレの日 展」
2016年11月9日(水)–2017年1月30日(月)
国立新美術館B1 SFTギャラリー(東京都)
>>終了しました
「構造乾漆」
2016年11月18日(金)–11月23日(水)
AXISギャラリー(東京都)
>>終了しました
「こども工芸修行 弟子求む!」
2016年7月22日(金)–8月30日(日)
石川県立伝統産業工芸館(石川県金沢市)
>>終了しました
「クラフトフェアまつもと2016」
2016年5月28日(土)–5月29日(日)
あがたの森公園(長野県松本市)
>>終了しました
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